パジャマとドレスの間。ファッションはどこへ向かう?
「昨年の今頃は」と日記を見たら、仕事でロンドンにいた。その滞在中に、V&Rで開催されていたディオール展へ。
情報の断片をつないで再構築し、その束にメッセージをこめて発信するという編集者としての自分の仕事の本分を見直す良い機会となりました。
と感想を締めくくっているように、大いなる刺激を受けた展覧会だった。
クチュールの魔法
なぜ、そんな話を唐突に書き始めたかというと、その展覧会のドキュメンタリーが公開されたから。
2017〜18年にパリの装飾美術館で、19年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で開催された展覧会「クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ」。本展の舞台裏に迫るドキュメンタリーが、ディオールのYouTubeチャンネルで公開された。
ディオールのInstagram公式アカウントでは、本展の出品作の写真やバーチャルツアーの動画も公開。
こうも外出を自粛していると、「ロンドンにいた自分」という事実もさることながら、「ファッションに多いに刺激を受けていた自分」というものが過去に本当に存在していたことが、遽に信じられなくなってくる。
巣ごもりファッション
ここ数日間の外出自粛。人生でファッションからいちばん遠ざかる時を過ごしている。
この春、唯一買ったものは、私の場合は、オーガニックコットンのガーゼのパジャマである。とにもかくにも肌あたりがいいものに包まれていたい。
「巣ごもり消費で、ジェラートピケが絶好調」という記事を読む。これは本当に理解できる。パジャマとは一線を画す、ホームウェア、ワンマイルウェア、そしてリラックスしながらもオンライン会議の画面にうつっても大丈夫なウェア……このあたりの服は、どうしても後回しになりがちで、手薄だった人は多いだろう。私ももちろんそのひとり。
もともと、カジュアルが許される職種だったので、ワードローブを見渡し、私の外出自粛服は雑誌『ポパイ』いうところのシティボーイ的な服装に落ち着いた。要はオーバーサイズのスウェットを大いにフル活用しているだけなのだが(苦笑)。
ファンタジーに浸る
数日前にヴィクター&ロルフの2021のマリアージュコレクションが発表された。袖を通すことはないだろうが、カッティングの美しさをウットリと眺めている。
こちらも絶対に履くことはないデザインだが、アレキサンダー・マックウィーンのシューズにもウットリ。
さらに、マックウィーンの繊細なレースのドレス。とにかく眺めては、脳内ファンタジーに浸る時間を楽しんでいる。
冒頭のディオールの動画を見たことで、現状の夢うつつのような状態からちょっとだけ目が覚めた。このところすっかり忘れていた感覚を少しだけ取り戻せたような気がする。
おしゃれをあきらめない
イラストレーターで作家の原田さんの投稿に手がとまる。
スウェットは大好きだが、毎日スウェットばかりを着ていると、やる気のような何かがどんどん吸い取られていく気がする。原田さんにならって、「私もやってみようかな」と考える。
数日前に投稿された叶姉妹のマスク・ファッション。やっぱりファッションを通して自分を表現していく作業は、とても偉大なのだと思う。
一枚の布が、たくさんのドレスを生み出す感動の動画。一枚の布でここまで表現できるのだ。デザインって、ファッションって、すごい!
ファッションというセラピー
昨日、ビッグ・アーティストが多数出演したチャリティコンサート配信「ONE WORLD TOGETHER AT HOME」を観た。
オオトリはセリーヌ・ディオン(とボチェッリとガガとランランとジョン・レジェンドの奇跡のコラボ)。
突如ファッショニスタになり、フロントロウの女王となったセリーヌ・ディオン。彼女は、最愛の夫を亡くした哀しみを乗り越えるため、ファッションに目覚めた。ファッションによって彼女は癒され、エンパワメントされ、新しい自分へと変身を遂げた。
ファッションは希望
個性的なファッションをまとう若者たちが集う街に住んでいる。ほとんどのショップはシャッターをおろしているので、道を歩いている人のほとんどは日用品の買い出しのための外出だ。街からファッションが消えた。この街の風景を劇的に変えたのは、圧倒的にそこを行き交う人たちの服装なのだと思った。
家で寛ぐための服ももちろん必要だが、私たちにとってのファッションはそれだけではない。自分がおしゃれすることももちろんだけれど、私は「他人のおしゃれ」を眺めることも好きだった。人が自由にファッションを楽しんでいる様は、表現であり、想像力であり……大袈裟な言い方をすれば、生きる希望のようなものであり。たくさんの人のそれらの気持ちに自分の気持ちを高揚させてもらっていたのだ、と改めて。
ここ数年は情報過多になってきていたファッションに疲れていたのも事実。情報やモノはあふれているのに、「欲しい!」「着たい!」と思うものに出会うことが本当に少なくなっていた。奇抜な服をいろいろ楽しんでいた時代もあったけれど、シンプルなデザインのアイテムを多く好むようになっていた。単純に加齢による気力不足もあったのだろうが、なんとも寂しい気持ちにもなっていた。
けれど、その可能性を不意に取り上げられたら、こんなにもおしゃれが恋しい。裸を隠すため、暖をとるため……その「実」以外の力をなかなか堪能できない現状が歯痒い。この状況が落ち着いたら、私はおしゃれがしたい。
心地良いルームウェアに袖を通す幸せは確かにあるのだけれど、やっぱりそれだけではダメなのだ。
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