アートは誰のため? 「公共」の成熟度は街の魅力。熊本市現代美術館が教えてくれること
出張の度にできるだけ熊本市現代美術館に足を運んでいる。地方で趣き深い展示を連打し続けている姿勢に、いつも刺激を受けている。
現在は『きっかけは彫刻。』展が開催されており、立体造形の変遷が通観できて、とても楽しかった。
無料で楽しめる、開かれた公共スペース
そして、この美術館はいつ訪れても流れる空気感にホッとする。住民の方と、私のような新参者が混じり合っても自然に馴染む、開かれたオープンマインドなムードが本当に心地よい。
「美術館は展示室だけが美術を鑑賞する場所ではありません」と宣言するだけのことはあり、いたるところに椅子やソファがあり、蔵書があり、無料で楽しめるアートピースも散りばめられている。
その極みはホームギャラリー。ジェームス・タレルの光の天蓋を設置し、その中で寝たり、座ったりすることもできるユニークなマリーナ・アブラモヴィッチの本棚が設置されている。その中でたくさんの方が寛がれている。本当に豊かな光景である。
その他、宮島達男や草間彌生の作品が展示。
街なか子育て広場と呼ばれるスペースもある。調べてみると、ボランティアの方が多く参加されているようだ。
この他、田中智之氏による青ペン1本で内部構造を表現する驚異的なパース画、通称「タナパー」の圧巻の展示が無料。横尾忠則のポスター展(熊本と言えば、の『いだてん』金栗四三のポスターも!)も無料。
故・桜井館長の思い
今年6月に亡くなられた櫻井館長の追悼文を読むと、なぜ、この美術館がこのような素晴らしい美術館に成り得たのかがよく分かる。
イギリスのアーツカウンシルがその活動の原点として依拠する、芸術分野の自立性を確保するアームズ・レングスの法則を例に出し、美術館は自立した存在であるべきだと主張してきた。
地震後に、美術館に集う人々の表情や姿を見て、「美術館は社会にとって必要なものだ」と心から思えた経験は、本当に得がたいものであった。
日本のアートの現状
先頃の「あいちトリエンナーレ補助金不交付」の文化庁の発表に、今、日本中でたくさんの方が声を上げている。
公的資金が入って運営される芸術祭などのすべての文化活動に「多大な悪影響を及ぼす」として、「国際的には日本は文化的先進国から失墜し、国際社会から非難される立場にもなりかねません」と懸念を示している。
少し前の会田誠さんのTwitter投稿も、根っこがつながっているような気がするので掲出。
文化とは一体誰のため、何のために存在するものなのか。
公人の方ほど、今一度、より深く考えていただきたいと願う。