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個人的な話
私はつくづく、一人称、肖像画、ひとりの誰かを追ったようなポートレート的な作品が好きなんだなぁ、と思う。
小説『ベル・ジャー』
2025年初めて読んだ小説は『ベル・ジャー』。英米だけで430万部以上を売り上げている世界的ベストセラーの新訳。
20歳の頃、大人たちは無責任に「若いからなんでもできる」と言ってきて、「本当にうざいなぁ」と思っていた。とはいえ、そう簡単に流せるわけもなく、焦燥感が全身を覆っていた。「こうしている(例えば、近所のレンタルビデオ店でビデオをあ行から借りて全部観ようとしていた)間に、日々、可能性だけはスルスルと手のひらからこぼれ落ち、どんどん目減りしていくんだ」と鬱々としていた。
その頃の記憶が瑞々しく甦る作品だった。
年始に観た映画は以下の2本もポートレート的。昨年の『ナミビアの砂漠』に興奮したことにも顕著だったが、引き続き、好き。
映画『ブラックバード、ブラックベリー、私は私』@アップリンクにて
ジョージアの片田舎でひとり暮らしをする48歳が主人公。
独身であることや体型のことなど、やいのやいの言われるが、きちんと暮らしや身体を慈しむ。性愛も描きつつ、それに振り回されない(美化も自虐もない)中年女性のポートレイトはかなり新鮮。
ひとりでも生きられるけど、人と関わるから想定外のことって起こるよね!
映画『時々、私は考える』@unextにて
ひとりだけれど孤独ではない。空想好きの主人公と共に過ごす静かに流れる時間。人との関わり合いの中で、ほんの少しだけ変化していく。その様が愛しい。
原題は、「sometimes I think about dying」。
「時々、死について考えたりしちゃうんだよね」的なノリで、いわゆる希死念慮とは異なる感覚。非常にわかる。
ブック・コーディネーターの内沼さんの以下のポストがずっと頭の片隅にあった。
人間が書くべきはパーソナルなことだけだ。
私の中でそれが腹落ちする2025年の年始なのだった。
日記とは最もパーソナルなテキストであり、日記屋とは、誤解をおそれずにいえば、パーソナルであることの、すなわち人間の専門店だ。
— 内沼晋太郎📚 (@numabooks) March 26, 2023
パーソナルでないテキストは、早晩AIが完璧に書くようになる。まとめる作業としての執筆はゆるやかに終わっていく。
人間が書くべきは、パーソナルなことだけだ。