「ジェンダー」や「気候変動」は、余裕のある人の趣味なのか?
とある政治家のジェンダーや気候変動は「余裕のある人の趣味」に見えるというツィートが送られてきて、グループLINEでのチャットの口火が切られた。
そこで興味深いブログがシェアされた。
維新のメディアジャックに「大阪の有権者は騙されている」という意見が散見している。けれど、「よくテレビで見る人たちに投票しただけ」という理由だけで結果を考えるのは単純すぎるかなぁ、と考えていたので、「なるほど」と思えた。
昨日から、西が制作する朝ドラ『カムカムエヴリバディ』が始まった。西の作る朝ドラを見ていると、いつも「くらし」「生活」「生きる」がテーマなんだよなぁ、としみじみ思う。
多くの人は「生活(今日を生き抜く)」のことを考えている。人権や環境のことを日々考えながら生きられるほどの余裕がない(それらは生活と地続きであるが、今ひとつピンとこないという意味合いも含む)。決して、生きることを疎かにしたり、何かを軽んじていたりするわけではない。「それでは今日のご飯が食べられない」という圧倒的なまでのリアルの前に、それは切実さをともなわず、優先順位は自ずと後退する。
人権問題や環境問題は人間の存在理由や生きる可能性に直結する問題だ。けれども、それらは有権者には「余裕のある趣味」にうつり、その票を政治家はとりにいく。その循環がより強固になっていっている気がした。
今回の選挙結果にがっかりしている人ほど、自分がかなり偏った認知フレーム(無意識のバイアス)の中で生きていることをまず認識する必要があるのかもしれない。もちろん、それは私のことである。
さて、私は何から始めるべきなのか?
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今日の一冊『二重に差別される女たち』
先日の #metgala で、#pegthepatriarchy(家父長制をぶっつぶせ)や #taxtherich (金持ちに税金を)などのメッセージが描かれたコスチューム。あれらが賞賛だけではなく、なぜ同じくらいの批判にもさらされたのかよく分かった(アクティビズムの潮目、という投稿が散見していたのも納得)。先日投稿した、『 #差別はたいてい悪意のない人がする』とのセット読み、オススメ。