渋谷のミスリード。変遷に何を思う?
この秋、渋谷が生まれ変わる。駅直結で、11月1日は「渋谷スクランブルスクエア東棟」が、11月19日は新生パルコがオープンする。
2大施設のオープン
屋上の展望施設では、地上約230メートルから渋谷の景色を一望できる。屋上にはハンモックやソファを置き、「今まで渋谷にはなかった大型の観光スポット」(担当者)としている。
地下2階~地上14階の商業施設には日本初上陸も含む213店舗が入居する。物販が60%、食料品が25%、飲食店が15%という構成だ。
新生「渋谷パルコ」の商業施設は地下1階から地上9階まで、10階には屋上スペースを設置する。「ファッション」「アート&カルチャー」「エンターテイメント」「フード」「テクノロジー」の5つのコンセプトでフロア編集を行い、「新しいこと、人と違うこと、面白いこと、個性を追求する」都市生活者が世界中から訪れるビルを目指す。出店テナントは約192を予定。
六本木WAVEと六本木ヒルズ
東京の大学に進学が決まり、上京してきた当時、憧れの六本木WAVEに通いつめた。バブルがはじけた年に私は大学生になったので、お店から勢いがどんどん失われていった頃だと思う。時は、TK全盛時代。CDがおそろしいほどに売れていた90年代(そのかわり多様性がなくなっていた時代なのかもしれない)。その終わりを告げるかのように1999年の年末、六本木WAVEは幕を閉じた。そこには今、六本木ヒルズがそびえ立つ。
渋谷という街のミスリード
私が生まれる1年前の1973年、トルコ(ソープランド)街に渋谷パルコは生まれた。渋谷職安通り(区役所通り)は、パルコの登場で“公園通り”と名前を変えた。
宮台真司さんは、「汚い東京がTOKIOになる読み替えであり、洒落であり、戯れである」と言っていたそうな。そして、「後続の世代は、この洒落を理解しないまま“おしゃれ”と変換した」とも。彼が言うように、渋谷がおしゃれタウンだというのは幻想で、私たちはミスリードをしてしまったのか?
新生パルコの工事現場を取り囲んでいた壁には長い間『AKIRA』が描かれていた。宮台さんの言葉を反芻しながら眺めるそれは、なかなかにシニカルに見えた。
その壁も撤去され、今は、新しいパルコのビルがそびえ立つ。建物からは、「洒落」や「戯れ」の空気は漂っていない。これで、セゾングループの残り香は完全に消えてしまうのか。
時はうつろう。街はどんどん変わっていくのは当たり前なのかもしれない。1973年、「洒落」として生まれたパルコを筆頭に渋谷はトランスフォームした。そして、45年の時を超え、渋谷は再びトランスフォームの時を迎えた。
この2019年の渋谷のトランスフォームは必然だったのだろうか?
夏草や 兵どもが 夢の跡
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