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「ズーム」疲れが止まらない

移動時間がいらなくなった分、確かにカラダは疲れていないかもしれない。けれど、夜になるとグッタリしてしまう。

オンライン会議には「隙」がない。密度高く議論を進められるのは確かだが、オンライン会議に慣れている者同士が会議していないので、ファシリテーター役を誰が担うかでかかる時間が大きく変わる。話す内容の密度が高まるなら意味があるが、ただただ「見られている」という圧と闘っているだけの時間も多い。

画面にフラットに顔が並ぶ。そこに自分の顔も並ぶものだから、知らず知らずのうちに「真剣に聞いている」風な顔演技をしている時がある。発言するタイミングがないわりに、ビデオをオフできないミーティングはなかなかにつらい。

これまでは編集者として、「会いに行きます!」が愛の伝え方だと思っていたようなところがあった私は、「はじめましてのオンライン対面」や「メールだけ」「電話だけ」に戸惑っている。「会えてしまえばこっちのもの」的な自分のこれまでのやり方は通用しない。とにもかくにも、雑談がしづらいので、これまで以上の事前準備の必要性を感じている。

取材をお願いしているライターさんは、「オンライン取材だとどうしても雑談しづらいので、そもそも用意していた質問のやりとりで取材が終わりがち。取材内容を展開させるのが自分が考えているより難しい」と言う。

知人の大学教授は「今まではなんとなく察知できていた、授業が生徒にフィットしているかどうかをはかることがオンラインでは難しい。表情や声から感情が読み取りづらいストレスがある」と言う。違う教授は「一方的に画面に向かって話している時間がどうしても長くなってしまう。一日中、ずっとPCに向かって話し続けているようなものだ」と言う。

逆に大学生の立場になってみると、聞く体力も相当なものが必要だろう。姿勢をくずす、ちょっと窓から青空を見つめる、スマホを見る……広い教室だったら許されていたことがきっとオンラインでは許されない。さらに言うなら、「昨日朝まで遊んじゃったから、1限目はパス」とか、「このまま友達とダラダラしていたいから、授業をすっぽかす」とか、代返を頼む、とか……そういうことも、なかなかに難しそう。かなりの拘束感だと思うのだが、違うだろうか?

「バーチャルな交流は脳に極めて大きな負担をかける」ということは判明しているという。

ビデオ会議では、言葉に対して継続的に強い注意を向けることが要求される。たとえば、ある人の肩から上だけしか画面に映っていなければ、その人の手の仕草やボディランゲージを見る機会は失われる。またビデオの画質が低い場合は、ちょっとした表情から何かを読み取ることは不可能だ。「そうした非言語的な手がかりに強く依存している人にとって、それが見られないというのは大きな消耗につながります」と、フランクリン氏は言う。
人によっては、長時間にわたって注意力が分散された状態が続くと、何もやり終えていないのに消耗したという奇妙な感覚を覚えることもある。脳が、非言語的な手がかりを求めて過剰に集中し、慣れない刺激を過度に受けることによって、くたくたに疲れてしまう

自宅内では「移動」が極端に少なくなり、それによりリセット下手になっているのを感じる。「移動」で気持ちや頭の中を転換させていたんだな〜、とつくづくと思う。

これまで1時間単位で設定していた打ち合わせは、オンラインなら30分。いや、15分で終わる。であるからこそ、余った30〜45分はきちんと頭を休ませる。さしあたっては、そのメリハリをきちんとつけたい、と思う。

いずれにせよ、これからはこの働き方が主流になることは間違いないので、「あの頃は良かった」と後ろ向きにならず、この状態で疲れない働き方を自分なりに見つけていきたいと思う。

余談だが、

本当にそう思う。

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