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『82年生まれ、キム・ジヨン』。この数年で社会はどう変化した?

先週、やっと『82年生まれ、キム・ジヨン』を観た。

原作は日本語訳が発売(2018年12月)されてからすぐに読んだ。

平凡な主人公に、まわりの知人女性が乗り移るという症状が起こる。その奇妙な症状を精神科医に話していくスタイルで小説は進んでいき、小説の主人公になりえることがなかったであろう平凡とされている女性たちの日常があぶり出されていきます。男女の賃金格差の統計などの実際の数字も多く盛り込まれ、社会学の文献を読んでいるような気分にも!?  フィクションとノンフィクションを行き来しながら、「韓国の現在」を体験できる一冊です。

『82年生まれ、キム・ジヨン』の原作者チョ・ナムジュさんの新著『彼女の名前は』の中に掲載されていた成川綾さんの

『82 年生まれ、キム・ジヨン』が日本で売れているというニュースは、韓国にも伝わっている。「なんで#MeToo は盛り上がらない日本で、キム・ジヨンは売れるの?」という質問を何度か受けた。それこそ、日本の女性たちが我慢している証拠だと思う。  

という言葉に、自分の中のモヤモヤを言語化していただいたような気がした。

その気付きを『キネマ旬報』の鎌田さんに打ち合わせでお伝えし、「多くの読者の方に今生じている日本と韓国の差異を知ってもらいたい」と執筆いただいた。今は少しの差異だけれど、今後はこれがどんどん開いていってしまうのではないか、という私なりの危機感のようなものなのだと思う。

フェミニズム小説や映画というフィルターを使って、心のモヤモヤを代弁してもらえればいいという女性の半覚醒状態の意識が続く日本と、江南通り魔殺人事件や『82年生まれ、キム・ジヨン』の小説を通していち早く声を上げた韓国。その動きが「男女格差(ジェンダーギャップ)」の17年から18年で韓国と日本の順位が逆転した本質的な理由なのかもしれません。

そして、映画である。instgramに、観賞後の雑感は以下のように書いた。

原作より希望が強調されている分、絶望が深い。それに拍車をかけているのが夫役のコンユ。コンユがコンユであればあるほどに罪深さが増し、さらなる絶望に襲われる問題。社会の問題が家族の問題にすり替わっちゃっているのだよなぁ。しかも、コンユだから感情移入できちゃうだよなぁ。
※興業的にコンユなのはわかる。
※コンユは悪くない。
※原作と比較しないのが良き。

映画はとてもよくできている。

が、原作をかなり読み込んでしまっていたので、違和感が拭えない。声に出せないたくさんの女性の怒りが集結し、主人公のジヨンに憑依する。けれど、それが、映画だとどうしてもジヨンひとりの怒りと悲しみのように見えてしまう。都心の夫婦が抱える育児をする難しさ(とはいえ、こちらの夫は性格的にもかなり協力的な方で、男性でも育児休暇を取れる先進的な会社に務めるサラリーマンの設定)にどうしても焦点があたりがちだ。

これは小説と映画の特性の差異とも言えるので、仕方のない問題なのかもしれない。

そして、原作者のチョ・ナムジュさんのインタビュー記事(前出の成川さんが執筆)を読む。

映画は、より希望のある結末だったと言えます。小説が出版され、映画が公開されるまでの変化によるものだと思います。小説が出版されたのは2016年、私が書いたのは2015年ですから、おそらく2015年の視点と感情と展望で小説を書いたでしょう。そして映画は2019年公開でしたから、その間に人々の視点も感情も展望も変化したのではないかなと思います。重い気持ちで映画館を出ることにならず、良かったです。

問題を可視化し、たくさんの人に気付きを与えた原作が生み出されたのが2016年。それから数年の時を経た現在、フェミニズムの動きはどう変わってきたのか?

チョさんは、上記のインタビューで以下のようにも答える。

正直、今は後退しているようでもあります。各種性犯罪は依然として起きていて、その罪に対する処罰が軽いのも変わりません。最近はすでに「憲法不合致」の判決が出ている堕胎罪を事実上維持することにした改正案の立法が予告され、多くの人たちに挫折と怒りをもたらしました。しかしながら、声を上げることで世の中が変わるということを直接経験してきたので、敗北意識や冷笑で終わらないことを信じています。

数年前に気付きを得た。

さて、現在、どうする?

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