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『彼女の名前は』。……そして、私の名前は?

今週末から、韓国だけでなく日本でもベストセラーとなっている『82年生まれ、キム・ジヨン』の映画が公開される。

原作を読んでいた時、私はwebサイトの編集長をしていた。

同調圧力という空気が社会を支配している日本と韓国は、「これは差別だ」とハッキリと主張しづらい雰囲気が蔓延しているとも言われています。そして、日本と同じくらい、いや、それ以上に女性の社会進出の遅れが問題視されている韓国(日本よりも高い韓国のガラスの天井〜中央日報〜)。そのことがとてもよくわかる小説でした。そして、この小説がベストセラーになる韓国の現状はうらやましくも思えたり。

そして、この映画の日本国内での宣伝ヴィジュアルに対しての疑問を、以前のnoteで少し触れた。

家族愛という大鉈を振りかざされることで、これまで女性がどれほど苦しめられてきたのか? 喉ごし滑らかなものは要注意である。

そして、先頃出版された、そのベストセラー作家による短編集『彼女の名前は』を読んだ。

訳者あと書きには、以下のように綴られている。

『彼女の名前は』について、著者はこうも語っていた。『キム・ジヨン』によって、こんなことがあるのだと社会に認識されたことはよかった。だが、あのなかでキム・ジヨンは自分で声を上げない。あの本が出てから、自分も、社会も、認識しているだけではだめだと感じた。半歩でも前に進もうと、そのためにこの本を書いた、と。

一編、一編はとても短いのだが、そこには女性たちのリアルな生き様が克明に刻まれており、それぞれが映画化できそうなくらいに濃厚だ。今まで、物語の主人公にはならなかったような、けれど、誰もが「これは私だ!」と思えるような鮮明さで描かれる。

そして、フェミニズムの動きが日本よりもグンと前進し、うらやましく眺めてしまう韓国の現在を見ても、まだまだ「まじか!」と思うことが、それはそれはたくさん、何よりもごく当たり前に起きていることを突きつけられる。

でも、この共有こそが、まずフェミニズムの第一歩なのだ、と心強くも思う。共有し、認識し、そして、一歩前へ。

解説の成川彩さんは以下のように書いている。

『82 年生まれ、キム・ジヨン』が日本で売れているというニュースは、韓国にも伝わっている。「なんで#MeToo は盛り上がらない日本で、キム・ジヨンは売れるの?」という質問を何度か受けた。それこそ、日本の女性たちが我慢している証拠だと思う。

そして、再び、訳者あとがき。

一つ進む。進んだかに見える。だが実際は、まだ変わっていない。まだ遠い。その長い道のりを耐え、声を上げ続けられるか。折れずにいられるか。実は声を上げることそのものより、声を上げ続けることの方がはるかに困難なのだ。変化さえ求め続けなければ、少なくても慣れ親しんだ日常は続き、個人の生活を犠牲にしなくてもすむ。

キラキラと光り輝く誰かの脇役ではなく、自分を主人公にして物語=日々の生活を考える。とかく「何者でもない」と考えてしまいがちな自分だけれど、自分だけしか自分になることはできないということをまずは知る。そして、自分に責任をもつことで、他者へ思いも馳せる。それらが集まって社会をなす。

『ぼくたちのチーム(Handsome Devil, 2017)』の中のセリフを思い出す。正確ではないけれど、ずっと頭の中にある。

「自分が自分を偽ったら、いったい誰が自分になるんだ?」


慣れ親しんだ生活を他人で生きるか。

否、その逆か。

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【追記】








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