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何を喋るのかは「知性」、何を喋らないのかは「品性」。つまり、世界はそれを愛と呼ぶんだぜ⁉︎

先日のワイドナショーでスピードワゴンの小沢一敬さんが

「何を喋るのかが知性で、何を喋らないのかが品性」

と発言し、「なるほど」と思った。SNS時代となり、「我先に!」と自分の思っていることや体験してることを共有するムードに一石を投じている。

誰でも有名人になれるチャンスに狂喜乱舞しているようにも見受けられるこの時代、ネット上で過剰さや過激さが拡散される度にザワザワしてしまう。

冒頭の言葉に、「寒いこといってるんじゃないよ」な雰囲気がスタジオ内には流れ、それにより笑いが生じる。その構造はロマンティック小沢さんの毎度おなじみの“逆張り”の笑い。それらしいシチュエーションでそれらしい人が発すればきっとその場で賞賛されていたはず。マッチョなマスキュリニティが炸裂する日本のバラエティ番組。誰が何をどこで語るか。お笑いは、この3拍子揃ってこそなのか。

余談だが、その夜、『いだてん』で森山未來演じる志ん生が満州の高座でかけた『富久(とみきゅう)』。涙を流しながら(!)も、誰が何をどこで語るか。さらに“いつ”という要素も大切なのかもしれない、などとも思ったり。

冒頭の小沢さんの言葉の「知性」「品性」というワードはひとまず置いておき、私が日頃気をつけていたいと思っていることと重なる。「何を喋る」「何を喋らないか」。その配慮である。

「何を喋るのか」→人はついつい喋りたがる。奢ることなく、自分がその他者に意義のあることを。すなわち、謙虚に。
「何を喋らないのか」→話すことより、話を聞くことが大切。すなわち、自己、ならびに他者への信頼を。

常日頃、できているわけではないが、対面はもちろん、SNSや記事を書く際もいつも心に留めている。

「何を話すか=知性≒謙虚さ」、「何を語らないか=品性≒信頼」

と等号で結ぶのは短絡的なのかもしれないが、ザックリ見ればあながち間違えていないようにも感じるのだが。

同番組ではゼンリーという位置情報共有アプリのことも紹介された。

少し前から聞いており、「流行りそうだな」と思ったまま忘れていたが、女子高生の中で流行っているらしい(テレビで取り上げられるほどに流行ったということはタピオカよろしくもう少しで終わるのかもしれないが)。これで彼女たちは彼氏や友達の動向を知って、そして自分の動向を随時知らせている。便利さの奥に潜む「安心した関係性」を求める過酷さに胸が苦しくなる。このアプリには、ゴーストやフリーズという、一旦休止できる機能もついているが、それはある種“欺き”とも表裏一体な機能なため、便利さをアップデートすればするほど互いに苦しくなるアプリだな、とも。

逆張り王のロマンティック小沢さんがゼンリーを利用する女子高生に対し一言。

「(相手が今何をしているのか)想像する時間が恋なんだよ」。

番組内には、また、さきほどと同じ笑いが起きる。

位置情報を共有する危険性も、苦しさも語られるべきだろうが、まず「恋愛の醍醐味をツールにあずけるだなんてもったいなぁ」と思うことも、やはりただの老婆心なのか。携帯電話が登場した時、携帯でメールや写真のやりとりができるようになった時、SNSが登場した時……同じようなことを当時の大人たち(私も大人だったけど苦笑)も思っていたのかもしれない。

恋のスパイス、嫉妬や不安を手放したら、恋には何が残るのか。相手の全てをコントロールできるはずがないという謙虚さ、互いを慮る信頼をさし引いたら、そこから愛は育つのか? 便利さと信頼をトレードオフしたら最後に残るものは、はたしていったい何なのか?  











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