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#1. クアラルンプール日本人墓地を訪れた日のこと

マレーシアのクアラルンプール在住13年目を迎えたMatahari@マレーシア🇲🇾です。


本日はクアラルンプール日本人墓地に初めて訪れた日のことを書きますね。

クアラルンプール日本人墓地は、意外に知らない人が多いのですが、街の中心部にあります。

最寄りのランドマークは、最近話題となっているクアラルンプールのららぽーとや豪華なコンドミニアムが立ち並ぶBBCC(ブキットビンタンシティセンター)。

市内の繁華街Bukit Bintangからもほど近い一等地であるJalan ImbiとJalan Puduが交差する場所にオープンしたBBCCですが、プドゥ刑務所跡地に建てられたことは現地の人々にとっては周知の事実です。プドゥ刑務所は1895年にイギリス植民地政府によって建てられ、日本がマレーシアを統治していた第二次世界大戦中の3年8ヶ月は、日本軍もこの刑務所を使用していました。

BBCCから車で数分ほどの距離にクアラルンプール日本人墓地はあります。

ららぽーとを左手にモノレールの線路沿いにJalan Imbiを進むと、都会の雰囲気から一転して緑豊かな森があります。

まるで異世界に迷い込んだかのような。
運転しながらエネルギーががらりと変わるのを体感した気がしました。

お恥ずかしながら、筆者はこの地に長年住んでいるにも関わらず、日本人墓地がどこにあるかすら最近まで知りませんでした。コロナパンデミックでマレーシアが厳しいロックダウンを数回経験した後の2021年の3月頃、ある日本人のご夫婦との出逢いがきっかけとなり訪れることになりました。


ちょうどわたしが日本旅行さんと共同で、マラヤの日本占領期の歴史を学ぶオンラインスタディツアーを手探りで開始した頃です。(この件については追々書きましょう)

話を戻しますね。

この写真は、クアラルンプール日本人墓地のすぐ目の前にある、鬱蒼とした木々に囲まれた名も無き墓石が整然と並ぶ無縁墓地。スタディーツアーにご参加くださった方の情報によると連合国軍として日本軍と戦ったネパールのグルカ兵の墓地ではないか、とのこと。日本人墓地の管理人さんに教えてもらったそうです。

クアラルンプールの無縁墓地

余談ですが、背景に見えるのは現在建設中のPNB118。今年竣工予定で、予定通りに竣工すると、地上118階・地下5階の構造となり、ドバイのブルジュ・ハリファに次いで世界で2番目に高いビルとなるそうです。

勢いよく発展を続ける大都会クアラルンプールの街中に残る森の中にひっそりと佇む墓石の一つ一つを愛おしく感じました。


そして、これが日本人墓地の外観。

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白くて高い塀に囲まれた日本人墓地は、なんとなく来る者を寄せ付けないような他人行儀な感じがして、呼び鈴を鳴らすのを一瞬ひるんだのを今でもよく覚えています。

そして、案の定。その日は呼び鈴を何度鳴らしても応答が無く。
諦めて無縁墓地でしばらく過ごしてから帰りました。今思うと、まずその無縁墓地を先に訪れなさいと言われていたのかもしれませんね。

それから月日が流れ、2022年の7月某日。

再び訪れたその日は、二回呼び鈴を鳴らしたら管理人さん(中華系マレーシア人のBillyさん)の息子さんであるHengさんが門を開けてくださいました。おそらく30代くらい。

彼によると、予約なしでいつでも訪れることができるそうです。
(前回私が訪れた日に応答が無かったことを伝えると、そんなはずはないはずなのだけど?と不思議そうにおっしゃってました。)

さほど広くない墓地の中を、Hengさんの案内で歩きました。その日はもの凄く暑い日で芝刈り機を担いで汗びっしょりになりながら懸命にお墓のお掃除をしてくださっていました。

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わたしが思わず足を止めたある立派な写真付きのお墓。

何も知らない無知な私が手を合わせながらお墓に話しかけると、「良いですよ」と返答があった気がしましたので、写真を撮らせていただきました。それがこの写真。

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森敬湖(もり たかみず)さんと奥様の森ちよかさんのお墓です。
森敬湖さんは戦前から英領マラヤで暮らした方で、日本の占領期を経て日本が敗戦後に抑留されたインドから戻りマラヤ国籍に変更して以来、日本人墓地の管理を戦後の昭和23年から16年間もの間引き受けた方です。Methodist Boys Schoolの校長先生をつとめられ、この国の教育に貢献された日本人として当時は名を知られた方だそうです。

その日、わたしが墓地内を歩きながら数ある墓石の中で思わず足を止め墓石の前で佇んだのは、日本が敗戦後、占領していたマレー半島にいた日本人が捕虜となり(当時の元軍人の皆さんは自らを捕虜とは呼ばず作業隊と称していたようです)日本に帰ることなく亡くなった魂を祀る殉難碑陸軍歩兵第11連隊の慰霊塔、そしてある陸軍大尉と准尉のお墓でした。

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その墓前で手を合わせていると、なぜかその時私に一番必要だと思われるメッセージが届いた気がしたのです。

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「たとえ弱いものを守るためという正義のためだとしても、もう戦うのはやめにしましょう。正義を訴え、悪に立ち向かい、自由を勝ち取るという方法ではなく、ただ弱きものの支えになるように寄り添えばいいのです。平和はまず自分の心から始まるのです。」

その後・・・

点と点が繋がって行くような、足りなかったパズルのピースが見つかるような、不思議な出来事が次々と起きました。

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その件についてはまた。



筆者より

クアラルンプールに住んで13年目を迎えました。ちょうど時期を同じくしてこの場所にやって来た方やその頃転機を迎えた方とのご縁を感じることが最近増えました。

ここ数年、この地で慰霊や歴史研究をするようになって、8月を迎えるこの時期が来ると不思議な出逢いや出来事が起きることに気付きました。

なので普段より頻度を上げてnote書いています。この地に関わった全ての日本人の皆様に向けて書いています。シェア歓迎です。味わうように読んでいただけますと幸いです。


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