見出し画像

【マレーシアで昔起きたこと】旧日本軍に捕らえられたアメリカ人作家と広島出身の菅大佐の交流を描いたノンフィクションThree Came Home


このnoteマガジンの中でご紹介する【マレーシアで昔起きたこと】は、英語と日本語の両方で情報を調べ、実際に訪れた場所で見聞きしたことを元に構成しています。

このブログが、「もっと東南アジアの日本統治時代に何が起きたかについて知りたい。」という方の入り口になれば幸いです。

「私も今度行ってみよう。」「私も調べてみよう。」という方が一人でも増え、【戦争は二度としない】という誓いが、次世代へ、そして永続的に続いて行きますように、という願いを込めて。


今から3年前、東マレーシア(ボルネオ島)サバ州サンダカンでの春節のお祝いに招いてくれた中華系マレーシア人の友人に、わたしたちの旅の最終日に、戦時中に旧日本軍による悲劇が起きた場所に建つ追悼碑と歴史的資料の展示があるサンダカンメモリアルパークに行きたい、と伝えると、友達は何も言わずに連れて行くと約束してくれました。

サンダカンメモリアルパーク、サンダカン死の行進についての記事

そしてさらに、「あなたは、きっと興味があると思うから。」と、アグネス・キースという、その時代に活躍したアメリカ人作家の生家にも連れて行ってくれました。

戦争中に一旦は破壊された家が、州政府機関によって復元され、2004年から資料館として一般に公開されているというその家は、サンダカン市内を見下ろせる緑豊かな丘の上に立っています。同じ敷地内には、アフタヌーンティーが楽しめるレストランもあります。

画像1

画像2

画像3

筆者撮影 2017年2月1日


アグネス・キースと『Three Came Home』について

アグネス・キースは、カリフォルニア大学バークレー校を卒業した才媛。夫のイギリス人ハリー・キースは北ボルネオ政庁の役人で、1934年にヨーロッパでビジネスをしていた兄の紹介で知り合い結婚してボルネオ島へ。当時サンダカンに住んでいた白人の女性はたったの20名で、アグネスは唯一のアメリカ籍だった。1941年12月に日本がイギリス領マラヤに侵攻し、たった3ヶ月でイギリス軍を無条件降伏させた後、数ヶ月後にサバ州も占領。在留していた外国人は、男性のみならず女性も子供も全員捕虜収容所に収容され、終戦まで約3年半の過酷な生活を強いられた。

アグネスとハリーの間には当時4歳の男の子がいて、名前はジョージ。男性は、女性と子供とは別の施設に収容されたため、家族は戦争によって長い間引き離されてしまう。やがて、アグネスとジョージは、サンダカンから隣のサラワク州クチンへと送られる。

(同じく異国で一人息子を育てているわたしにとって、その事実を知った時は、本当に胸が痛みました。)

その過酷な時代を生き抜いたアグネスが、終戦の翌年に出版しアメリカでベストセラーとなった『Three Came Home (日本語訳:三人は帰った)』

その本の中で、ボルネオ島サラワククチン捕虜収容所の所長であった菅辰治陸軍大佐とアグネスの交流が描かれています。(日本語はなく英語のWikipediaで情報を調べました)

菅大佐は広島県の出身。若い頃にアメリカに留学しワシントン大学で学び英語の教師となった。晩年は志願してボルネオ島の捕虜収容所の所長に。

彼はアメリカ生活の影響があったのか、仏教からキリスト教に改宗。非常に残虐であったと知られる旧日本軍の捕虜の扱いに比べ、菅大佐が所長であったクチン捕虜収容所は人道的に捕虜を扱ったとアグネスは本の中で記している。ただ、所長の菅大佐の姿が見えなくなると、兵士たちの態度が豹変し、理不尽な虐待を受けたこともあったらしい。

戦況が次第に悪くなり、やがて日本が連合軍に無条件降伏した、という情報が届き、捕えられていた人々は喜んだが、広島出身の菅大佐は、原爆で亡くなったという家族の訃報を聞き悲しみにくれ、これまで交流のあったアグネスを部屋に呼び、一人ぼっちになってしまった身の上話をする。

ジョージと同じ年頃の子を含む三人の子を持つ父親で家族をとても愛していた菅大佐。

アグネスの常に公平で愛のある視点から描かれる、戦時中も人の心を忘れなかった人々のストーリーは、読む人の心に響きます。

Three Came Homeには、菅大佐の最期については描かれていませんが、Wikipediaによれば、菅大佐はその後まもなくオーストラリア軍に逮捕され、戦犯裁判を待つ身となったが、60歳を迎える誕生日9月22日を前にして収容施設内で自殺した、とあります。


アグネス・キースは、80代で亡くなるまで7冊の本を書いています。詳しく知りたい方は、ぜひ調べてみてください。


アグネス・キースのWikipedia(英語のみ)


作家、妻、母アグネス・キースについて、もっと詳しく知りたい方は、この論文を読めばすべてがわかる、というくらいにそれはそれは詳しく書かれていますので、ぜひ読んでみてください。とても読みやすい上に、新たな発見がたくさんあり歴史好きの方にはオススメです。

明治大学教養論集 林ひふみ アグネス・キースのボルネオと日本(1)


これは、ボルネオ島のオランダ領(現インドネシア)の捕虜収容所に入れられた経験のあるお父様を持つ方の『三人は帰った』の感想。当事者の視点で書かれた文章はいつも胸に響きます。


ハリウッドで、終戦後すぐの1950年に映画化されたThree Came Home. 現在は無料で公開されています。(英語字幕あり)

美しく絵になるアグネスとハリー夫妻、そして息子ジョージ役の男の子が、外見だけでなく演技もめちゃくちゃ可愛いです。

人道的で英語が堪能、作家アグネスのファンだったため、収容所内でも交流があったとされる菅大佐を演じたハリウッド俳優早川雪洲(はやかわせっしゅう)は、この7年後に出演した「The Bridge on the River Kwai 邦題:戦場にかける橋」の演技で、一躍世界的にも知られる存在になりました。



今日のこの記事が、昔マレーシアで起きた悲劇への理解を深める一歩となりますように。


参考文献
アグネス・キース Keith, Agnes N. 『 Three Came Home』


<<トップ画像は、映画Three Came Homeのワンシーンをお借りしました。女性と子供たちが別の収容所に送られる日。夫たちと妻たちの間には、無慈悲にも溝が。最後の別れになるかもしれないひと時を惜しみながら過ごす捕虜たち。>>

よろしければ、サポートをよろしくお願いします!いただいたサポートは、マレーシアでの平和活動を続けて行く際に、大切に使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。