見出し画像

【「故人を偲ぶ」感覚の違い】フランスは「共有するものではない」と考える?

日仏で恋愛観が違うと書いたら、「時間についての観念がそもそも違うのでは」との見解をいただいた。
そこで思い出したことが。

日仏カップルで、亡くなった仏夫さんを偲ぶのに、数年後の命日に日妻さんが友人たちを招いたら、あまりいい顔をされなかったという。そこで、追悼の集まりは辞めることにした、と。
年数が経ってから、ゆかりのある人たちが集まる、ということはないみたい。日本では、三回忌には身内、親戚が主だけれど、友人が集まることもある。

日本には輪廻転生の考え方があるが、キリスト教が54.2%と多数のフランスではなさそう。
死生観は日仏で違うだろうな。

私がフランスで学生時代にお世話になった恩師が亡くなった時、同級生が告別式に集まった。当日、家の方が埋葬後にうちに寄らないかと学生の私たちを誘ってくれた。「どうする?」と顔を見合わせていた私と台湾の子に、一人の友人が

「行きたかったら、行けば?私はそんな、ご本人の家まで行ける気分じゃないから。自分がどう感じるかよ(自分で決めて)」

ここで、この感覚の違いについてツイートした時に、興味深い考察をいただいたので、一部紹介させていただくと。

キリスト教では「死者の魂は神に召され、天国へ」
「安住の地に永遠に安息できると考える」

なるほどー、もう戻って来ないと考えるんだなー
日本では、「ご先祖様がお盆に帰ってくる」と伝えられる。
キリスト教では、天国で永遠の生命を与えられる。

先の 日仏で「故人を偲ぶ感覚が違いそうだ」という投稿に対して、フランスで仏夫と暮らす日本の友人が
「お墓参りも行かないし、亡くなった人の話はあまりしない。(故人への想いは)共有するものじゃないみたい」
とコメントをくれた。

今まで故人を偲ぶ感覚が日本とフランスでは違う、なんて考えたことがなかった。万一友人が亡くなったりしたら、みんなで思い出を語り合いたい気がする。
しかし、こういった文化や信仰、人種 と様々な背景に由来する感覚の違いを知ると、自分の意向を押し付けたりすることがないように 気をつけないと、と思った。

そして、それでも。
今まで考えが及ばなかった思考の違いに触れるのは楽しい。


いいなと思ったら応援しよう!