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アール・ヌーヴォーをパリで
エクトール・ギマール編
パリでアール・ヌーヴォーと言われたら真っ先に出てくるのは何か。
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やはりメトロの出入り口で見かけるエクトール・ギマール作の不思議な形の一見何だかわからないあれ。
初めてパリであれを見たら感激するよね。
私は今パリにいる。と
実感する一瞬。
好きか嫌いかは別として。
そもそもエクトール・ギマールって何者なのか?
また、何でメトロの出入り口に敢えてあのようなものを? 第一アール・ヌーヴォーって何なのさ?
と、疑問を持った人は私を含めて少なくないと思うのだけれど。
確かにエクトール・ギマールというとメトロの出入り口の作者とピーンと来ると思うのだけれど実はそれだけではない。
エクトール・ギマール(1867-1942)はフランスのリヨン生まれだけど亡くなったのはニューヨーク。
建築家として知られている。
彼のキャリアに最初に影響を与えたのはかの有名なヴィオレ・ル・デュクである。デュクと言えば19世紀にノートルダム・ド・パリの修復を行ったことで知られている。特に、それまではなかったあの尖塔を上にくっつけた人だ。
おかげで2019年の火災の後修復作業の段階で「あの塔はもともとなかったものだからなくても良いのではないか。」という意見も出て、かなり揉めた。
結局<尖塔はつける>という大統領発表があった。
ヴィオレ・ル・デュクとはそんな凄い人物なのだ。他にもカルカッソンヌの城塞等、あのスタイルは賛否両論の声(何より周りとの調和を乱すとか)を生み出したものの、彼の仕事は多くの人に認められた事は事実である。
そんな人の影響を受けたギマールの作品も半端ではない。かなり周りのパリの建築に比べて、特にオスマニアン建築など(オスマニアン建築に関しては私のnoteでの記事、<パリ大変身>をよかったら参照してほしい。)とは全くかけ離れたと言っても決して言い過ぎではない。
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パリで一番最初のアール・ヌーヴォー建築と言われているのはギマールの<カステル・ベランジェ>で、1898年に完成。3年かかった。
ベルギーに旅行した際に出会ったヴィクトール・オルタの影響を受けた建物。
ただし、しつこいようだがフレンチスタイルの建築は<調和性>を大切にするのに対して統一感のないギマールのスタイルは当然周囲からの批判の対象となった。
材質、外観等何のハーモニーもない。
ギマールにとっては誠に不愉快な話であろうが、<迷惑>はフランス語で<デランジェ(déranger)というので、<カステル・デランジェ>と呼んで馬鹿にしていたそうだ。
日本でもこれに似た様なからかい方はあると思うが、それにしてもねえ。
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そしてギマールの名がパリ中に広まるのは1900年、この年はパリにとって重要な 年である。
なんと言っても世界博覧会がパリで行われたのだから。
それより前、1889年にはエッフェル塔が完成。翌年グラン・パレ、プティ・パレ等も建設された。あの美しいアレクサンドル三世橋も同じ年に完成した。
この3つは密接しているので完成したときにはどれだけ達成感があって、またどれだけ工事中は大変だったのだろうかと、思わず想像してしまう。
ギマールのメトロ出入り口は万博を機会に注文を受けて造られた訳であるが最盛期には166箇所にあったという。
現在はおよそその半分の88だというから、当時は街中あのスタイルだらけだったのかという印象である。
ギマールのその他の作品の中で、私は幸運なことに<オテル・メザラ(メザラ邸)>の内部を見学することができた。パリ16区にあるギマールの建築は現在では殆ど公開されていないのだが、何故か特別公開されたことがあって、ある友人のおかげでその情報をキャッチすることができたのであった。
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ギマールの建築の外観はあのラインなど、アール・ヌーヴォーの特徴を見ることが出来ても、意外とどれも(カステル・ベランジェを除いては)地味である。
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ところが中に入ると、ステンドグラス、鉄の柵、至るところで見られる曲線はどれも見事な美しさなのである。
私は建築に興味があるので、他にも機会あれば見学会に参加したりしているが、どれにも劣らない個性やその美しさに思わず見惚れてしまった。
やはりギマールのその名はアール・ヌーヴォーからはずせない。
ところでパリにアーティスト以外にもこのアール・ヌーヴォーになくてはならない人物がいたのだけれど、その名もジークフリード・ビング、パリ9区に<メゾン・ド・ラール・ヌーヴォー(Maison de l'Art Nouveau>と言う名の店を持っていた。
この店のことは私のnoteの<この店行ってみたかった>でも書いているのでよろしければ是非一度読んでみてほしい。
最初に言及したヴィオレ・ル・デュク、その後の画家のモーリス・ドゥニ、ピエール・ボナール、さらにはエドゥアール・ヴュイヤールなども絵画と装飾の統合に重要な役割を占めているが、ここでもう一つ、日本の美術、とくに<浮世絵>はアール・ヌーヴォーでは欠かせない存在だったことを忘れてはいけない。
木版印刷、特に安藤広重、葛飾北斎や歌川国政の作品はフランスのアール・ヌーヴォーに大きな影響を与えたことは前出のジークフリート・ビングの熱烈なる宣言活動、特に1888年に<ル・ジャポン・アーティスティック>という36冊の月刊誌を3年に渡って出版されたが、この事からもよくわかる。
「でもメトロの出入り口ばかりで、オテル・メザラの中には入れないし、ジークフリード・ビングには会えないならわざわざパリに来ても意味ないじゃない〜。」とダダをこねるあなた。
確かに。
でもフランスガイドとしてそんなあなたをほっておくわけないのでご安心を。
まずはプティ・パレまで行くとギメールの食堂を再現した部屋を見ることが出来る。
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カルナヴァレ博物館にも少し。
でもわかるわかる、「たったのそれだけ?」という声が出て当然。
今回はギメールに焦点をあててご紹介したが、なんとオルセー美術館にはフランス、ベルギーの(隣のコーナーにはスペインとイタリアの)アール・ヌーヴォースタイルの家具調度の展示がある。
しかも今回この記事ではエクトール・ギマールに集中したが、エミール・ガレやルイ・マジョレルの作品もあり、中々見応えがある。
ではここでいかにもギマールらしい作品をご紹介。
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1897年
ビリヤード・ルームの為のバンケット。
この他にもたくさんあるので是非オルセー美術館に足を運んで見てほしい。
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今回は<入門編>と言ったところだが、これでアール・ヌーヴォーと言うスタイルに興味を持たれた方は更に他のアーティストやパリ以外の舞台にご案内したい。
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