ここでエクレア食べてみたかった
またしても私の空想話し好きで申し訳ないのだが、今回はパリのカルナヴァレ美術館に行ったときのことをどうしても話したい。
4年という長い間の改修工事を終えて2020年5月にリニューアルオープンしたばかりのこの美術館、建物は16世紀のルネッサンススタイルが何とも美しいが、この辺りのマレ地区というと他にも個性的な建物が目立っており、パリと言ってもシャンゼリゼ通り付近やオペラ座辺りと全く違った雰囲気を醸し出していて、そこが好きなところである。
私の<強引な>趣味である写真撮影の題材としても常にいい味を出してくれる。
<強引な>とは誰にも頼まれていないのに無理やり発表したりすることである。
上手く出来たときは良いのだが、失敗したらピンボケの写真を見たくもないのに見せられて迷惑被っている人もいることであろう。
あなたにも心当たりない?
でも写真撮るときは遠慮してたら駄目みたい。自分に自信を持たせないと。
さて、話題を美術館に戻すと、ここは古代から近代までのパリの歴史を、特にフランス革命あたりを見学者にわかりやすく展示しているところがまずおすすめであるが、他にも良いところは常設展示見学が無料で出来るところである。
しかもかなりの豊かな内容だから、しかもパリ市民でなくてもタダというのはいい。ただし今のところインターネットでの予約がないと入れないことがあるので要注意。
館内に入るとまずは19世紀のパリの街の看板がズラリと並んでいるのが目立つ。
壁に掛かっていたりつる下がっていたり、このコーナーは以前はなかったと思うのだが、これは面白い。
その後一旦地下まで下がって古代のコーナーや、また上まで上がってフランス革命コーナーを見学したりと、ここに来るだけで歴史好きな人々は満足するであろうことは保証付。
中でも私は特に19世紀コーナーが好きである。また、リニューアル以来最初に訪れたときに特に気になったのはこの絵である。
ジャン・ベロー(1849-1935)
<ラ・パティスリー・グロップ>
<La patîsserie Gloppe>
1889
パリ、カルナヴァレ博物館
画家でもあり、イラストレーターでもあるベローはベルエポック時代のパリジャンやパリジェンヌの日常生活を描いたことで知られている。
上の作品の他に
この絵のタイトルの<ミリナー>とは帽子製作者という意味である。確かに女性が抱えている箱は帽子入れである。
現代ではこのような帽子をかぶって街を歩く人はあまりいない。下手すれば場所によっては入場拒否されるかもしれない。
それで思い出したが3年くらい前に、あるデザイナーの女性が18世紀スタイルの服装でヴェルサイユ宮殿に入ろうとして拒否された件は覚えている。
仮装と見なされたのだ。
ヴェルサイユ宮殿では特定の日以外仮装での入場は禁止されているのだが、そのデザイナーにとっては18世紀の日常のちょっとしたお洒落のつもりだったらしいのに悪くとられてしまって、家に戻ってからは大泣きだったそう。
さて、話は帽子の女性に戻る。
この絵では背景に凱旋門が見えて、ここはシャンゼリゼ通りだということが明白てある。
この女性はもしかしたらこの帽子を注文主に渡すのに今回の主役のティーサロンであるラ・パティスリー・グロップで待ち合わせしたかもしれない。
な〜んて相変わらず想像力の妙なたくましさだけは自慢出来る私。
次にこちらの作品のタイトルは<カフェで>。
同じ様なテーマの絵をたくさん描いているジェームズ・ティソ(*)の様に奇抜な構成はないが、例えば手前の椅子の置き方や若いカップルの後ろの鏡に写った室内の様子などが素朴ながらに雰囲気をだしているところや、また2人の会話が予想出来そうに描かれているところも評価したい。
同じ時期にこういった人々の生活や、特にカフェでのワンシーンを描いたものは意外にあって、人々の生活の中でいかにカフェというスペースがコーヒーを飲むだけでなく重要性を持つかが明らかである。
さて、ベローの描いた<ラ・パティスリー・グロップ>はシャンゼリゼ通り6番地に実在したティー・サロンで、当時は有名だったそうだ。現在はその姿は全く残っていないがシャンゼリゼ通り中程にあるロータリーの一角にあったそうだ。
ロータリーの北側にあり、現在はカルヴァンという衣料品店になっているあたりがそうだったみたい。
ベローの絵をよく見てみると、全体的に落ち着いた色彩で客層もシックな感じ。
同じ時代にパリの上流階級層の日常を描いたジェームズ・ティソ(*)とはまた違ってシンプルさ、とくにそれぞれのグループは大きな帽子などかぶって派手なのに全体的によくまとまっているところがいい。
ウエイトレスのユニフォームを見ていると、同じくパリの、でもこちらはモンブランで有名なサロン、<アンジェリーナ>を思い出す。いかにもこの時代のウェイトレスといった感じ。
開業はアンジェリーナのほうが後なので、この<ラ・パティスリー・グロップ>のスタイルにヒントを得た可能性はゼロではないと思う。
右のテーブルに座っている若い女性達がアルコールらしきものをお菓子と一緒に飲んでいるのには驚かないけれど、お菓子を手づかみで食べているのには少々気になった。彼女達だけではなく皆そうみたいだ。
するとミルフィーユとかではなく、エクレアとかサブレなど、食べやすいものばかりをサーヴィスしていたのであろうか?
しかしながら左のテーブルには美味しそうなタルトがいくつか置かれていて子供達が選んでいるみたいだが、これらも手づかみで食べるのであろうか?
といって頭に浮かんだのだが、今でも店によってはケーキを買おうとすると「すぐ食べる?」なんて聞かれて「はい。」なんて答えようものなら紙ナプキンに直にそのケーキをのせて渡してくれようとすることがある。
もしかしたら当時は皆、そうして食べていたのかもしれない。
それにしてもこのパティスリーの情報は少なすぎる。アルザス地方のお菓子専門店という説もあったが、
例えばどんなケーキが食べられたのか、また当時人気だったと言うのならどんな人達が訪れていたのかなどに興味津々である。
だが、今のところはそのようなことがわからないので、逆にアーティストや作家達の物語りや資料からこのラ・パティスリー・グロップについて調べるしかないのかな?
そんなわけで私の19世紀パリの旅はまだまだ続くのであった。
(*)ジェームズ・ティソ(1836-1902)とはジャン・ベロー(1849-1935)とほぼ同じ世代のフランス画家であるが、印象派グループに所属していない。当時のパリでの上流階級の生活を描いた作品が注目されている。
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