白薔薇とベルト・モリゾー
以前noteの記事で19世紀終わり頃の女性達について書いてみたが(やってられない女達)、今回は同じ頃の一人の女性アーティストについてあれこれ考えてみたいと思う。
彼女は印象派の画家。モネ、セザンヌ、ルノワール、ドガ、ピサロ、シスレーなどの中では女性は数少ない貴重な存在。サロン(官展)にも積極的に参加し、また高い評価を受けていた。
私生活でも父はシェール県知事でエコール・デ・ボザールで建築を学び、母はオノレ・フラゴナールの姪孫という環境が先ずは普通ではない。
彼女の名前はベルト・モリゾ。
生まれは1841年でフランス北中部のシェール県。
2人の姉、イヴとエドマ、そして弟が1人いる。母親はアートに理解があったし、当時は上流階級の家庭では女の子でも芸術や音楽の習い事をするのが一般的であったので特に才能が認められたベルトとエドマは絵を描くことの習い事が許可されたそうだ。
一家は1852年よりパリに移る。
そこで素晴らしい教師陣に出会ったこともまた普通ではない。なにせあのジャン≈バプティスト・カミーユ・コロに師事したのが凄い。
ジョゼフ・ギルールにルーヴル美術館に連れて行かれて絵画鑑賞、さらにはその一年後に同じくルーヴルで模写を始める。これはまた驚くべき事である。
そこでアンリ・ファンタン・ラトゥールと知りあい、ジャン≈バプティスト・カミーユ・コロとの出会いがあったのはその後である。
その後のエドゥアール・マネとのサロン(官展)での出会いはまたこれ以上のものはないほどの強運の持ち主と言えることの証明であろう、何せマネの弟、ウジェーヌ・マネと知り合えて後に結婚するのだから。ちなみに彼も画家である。当時裕福な画家なんて数多くはいなかった。
同じ様にずっと絵を続けてきたベルトの姉エドマは後に海軍将校と結婚して、そこから運命がかわる。絵を諦めるのだ。エドマの夫やその家族が芸術に関してどの程度の理解度を持っていたのかは明らかではないが、いくら時代が変わって来ていたといってもお嬢様の習い事で絵を描き続けるのと女流画家としてやっていくのとではまだまだ大きな違いがあったのであろう。
エドマがどのようにして夫君と知り合ったのかはわからないが、ベルトにだってエドマの様な縁談があったかも知れない。ただし彼女の方がエドマより若かったのでそのあたり人生においての選択の自由があったのかも知れない。
ではベルトは才能があったというより単なる強運の持ち主だったのか?
ベルト・モリゾ
読書するエドマ・モリゾ
1873年
クリーヴランド美術館(オハイオ州、アメリカ合衆国)
ベルトは1864年から毎年サロン出展をはじめる。上の絵は姉のエドマを描いたものでベルトがすでにマネと知り合った後の作品である。
構成のうち半分は白である。清楚な美しさの印象を与えるが、特に輝きが周りの緑に自然なイメージとともにそこでスポットライトを姉のエドマに当ててベルトがどれだけ姉を好きで慕っているのかが強調される。
可愛らしい帽子(欲しい)や扇子のミニ・ジャポニズムが小道具に使われ、ベルト・モリゾーの画家としてだけでなく 一人の女性としてのセンスが伺われる。
ベルト・モリゾー
化粧室の女性
1875-1880年
シカゴ美術館(イリノイ州、アメリカ合衆国)
実はベルト・モリゾの作品の中で個人的にこの絵に一番好感を持っている。勿論適度なセクシーさと清楚な感じが組み合わさっていて「やるなーモリゾ。」と思わず呟く。このうなじと背中の演出が巧みであるところはもしかして印象派の男性画家達やマネにさえ真似(洒落になってしまった)できないと思う。モデルがどんな顔なのか気になる。
白の使い方が上の絵とは違って、エドマがスポットライトを浴びているような感じはなく、全体の大部分が白い印象を与えるのに背景に見事に馴染んでいる。
白以外の色の使い分けと背景のヴァラエティに富んだタッチから来るものであろうか。
エドゥアール・マネ
バルコニー
1868-1869年
オルセー美術館
一番左で座っているのがベルトである。
当時の都会でのブルジョワの生活を描いた代表的な一枚といえる。
ベルトはエドゥアール・マネの絵画制作のモデルも努めた。むしろマネの絵のモデルとして知られていたかも知れない。今回私が選んだマネの作品2枚ともそうである。ベルトとマネはとても仲が良かったそうだが、二人が出会って最初にマネが発した言葉は「ああ彼女が男だったらなあ。」だそうである。その一言がすべてを語る。世間ではベルトがマネの影響を受けた様に言われているが、実際お互いに刺激を与え合い、良い仲間という感じだったらしい。
それ以上のことは本人しかわからない。
エドゥアール・マネ
すみれの花束をつけたベルト・モリゾ
1872年
オルセー美術館
ベルトの父親の忌中の時に着ていた黒い服。ベルト・モリゾと言うと先ずは皆この作品が頭に浮かぶと思うのでむしろその上の白いイメージが意外かも知れない。
それ程黒も似合う。また、すみれが黒い服に調和している。知的な微笑みは勿論マネに向けられたものであろうが、何か言いたげともとれるくらいな親密さを感じる。マネはもちろん後に妻となったシュザンヌをモデルにした絵もたくさん描いているがどうもベルトの絵の方が印象に残ってしまう。
最後に、ベルトはとても良く薔薇が似合うと思うのだが赤とかではなくて白い薔薇、しかも真っ白でもなくて透明感があって少しピンクがかっていて…、でも下の薔薇よりもっと白っぽい薔薇。
ベルトの白もマネの白も美しいと思うが、何か共通点がある。透き通る様で花びらのようだ。ただしマネの白は輪郭のせいか、厚みがあってダイナミックなイメージがあるのに対して、ベルトの白は風に吹かれてかすかに動き出しそうに見える。
そんなベルトも残念ながら54歳という若さでインフルエンザで亡くなってしまう。もっと長生きして欲しかった。
また、ウジェーヌと結婚したのは33歳(その年に第一回印象派展が始まった)、娘のジュリーを出産したのは37歳と、当時にしては遅めであった。
娘はベルトにとってお気に入りのモデルで、夫婦仲も良かったそうである。女性特有の観点を生かした様々な作品をもっと残してもらいたかったな。
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