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居心地が悪かったときの話をしようか。
こんな雰囲気のタイトルの本、ありましたよね。
なんだっけ、読んだことはないけど。
今日は、学生時代のアルバイトの話。
みなさんは、どんなアルバイトをしていましたか?
私は
パン屋、オムライス屋、コーヒーショップ
年賀状の仕分け、コンサートの物販、などなど。
色々やりましたが、今日は短期間で辞めたコーヒーショップでのアルバイトの話。
某コーヒーショップで働いていました。
注文を聞いて、コーヒーを用意する。
サンドイッチをつくる。
内容としては、割と好きな部類。
では、なぜ辞めたのか?
そこには、得体の知れない
「居心地の悪さ」があったから。
居心地の悪さの正体は、何だったんだろう?
みなさんも、イヤだったアルバイトや仕事はあると思います。
重ねて考えてみると、面白いかも?
******
アルバイト先には、苦手だった人物がいました。
それは、ニコニコと笑顔の絶えない、男子学生。
人当たりがよく、いい人そう。
この人は
「流行りものが好きな人」なのだと思っていた。
なぜかと言うと
いつだか休憩室にいた時、何かのガチャガチャ(コップのフチ子さんだったかな?)を何度もやったようで、収穫物を机の上に並べていた。
「これ、よかったらどうぞ」
なぜか、みんなに勧めている。
どうやら、自分が欲しくて買ったのではないらしい。
「わー!これ、欲しかったんだ」
「えー!もらっていいんですかあ?」
「ありがとうございます!」
嬉しそうにコップのフチ子さんをもらうアルバイトたち。
その様子を見て、男子学生が一言。
「僕、みんなに喜んでもらえるのが嬉しいんですよね〜」
文字に起こすと、なんてことない言葉。
むしろ、良さそうな雰囲気。
でも私はこれを聞いた時、
「え、それわざわざ言う?」
と思った。
ちなみに、私も「人に喜んでもらえると嬉しい」という感覚は持っている人間である。
どうやらその男子学生曰く
・何かをプレゼントすることで、誰かが喜んでくれるが嬉しい
・だから、ついプレゼントしてしまう
のだそう。ほう。
だから、「流行りものそのもの」が好きなのではなく、
人に喜んでもらう「手段」として、「流行り物」を使っている。そんなイメージだったのかなと。
「別に悪いことではないよね?」
と思った方も多い気がする。
でも、居心地の悪さというか、違和感があった。
たぶんその理由は
「人の良さの純度が、限りなく100%に近いから」
余計な添加物が入っていない、混じりっけなし。
そんなイメージ。
曇りのない瞳。
「人に喜んでもらいたい」という気持ちを公言する、ピュアさ。
悪くない。
決して悪いことではない。
でも私は、そういった人に遭遇すると
「うさん臭いな」
と思ってしまう。
ちなみに
「人が好きです」
と公言する人にも、同様のうさん臭さを感じている。
たぶん、うさん臭さの理由は
「本音が見えない」
というところにあると思う。
もしかしたら、
「人に喜んでもらいたい」
「人が好き」
それが本音で、それがすべてなのかもしれない。
でも、私は
「人が好きなんですよー!まあ、中には苦手な人もいますけどね笑」
もし言うのであれば、このくらいの感じがいい。
ほんのり本音が入っている言葉の方が、親近感がわく。
異論は認める。
******
ということで(?)
真っ白な人って、ちょっと怖い。(私比)
人間としての欠陥がないというか。
ほんのりグレーくらいが、心地よい。
アルバイト先で感じた、居心地の悪さの正体。
それは、そこにいる人がみんな真っ白に思えたから。
本音が見えないなと思ったから。
そんな話でした。
みなさんは、何色が好きですか?←
<あとがき>
今思うと、アルバイト先にそんなものを求めていたんだなあと懐かしくなります。
今は「本音が話せる人がいたらラッキー」という感覚で、淡々と仕事をしています。何色でもええわ。
今日もありがとうございました。
▼GLAYはこの曲が好き。
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