私のヒストリー
初めまして、こんにちは。
Nice to meet you.
สวัสดีค่ะ(サワディーカー)
佐野なおこと申します。英語もタイ語もノンネイティブ、有名な語学資格も持たない講師です。なぜ、英語とタイ語を教えることになったか、少々長いですが私のヒストリーにお付き合いください。
中学1年で英語と出会う
私は栃木県の田舎に生まれ育ちました。山と田んぼに囲まれ、外国人どころか人さえもほとんど歩いていないところです。
実家そばの景色
英語との出会いは中学1年のとき。同居していた祖父がNHKラジオ講座「基礎英語」をすすめてくれ、一緒に聞くようになりました。
勉強も運動も苦手で暗い小学校時代を過ごした私にとって、英語との出会いは衝撃的でした。音楽のような調べと、笑顔の多い大らかな世界。私のような子でも受け入れてくれるみたいな懐の深さを感じました。
英語との出会いによって上を向けるようになり、「将来、海の向こうと英語を使った仕事をしたい」と思うまでになりました。
26歳でタイ語と出会う
短大英語科を卒業、9か月間のイギリス語学留学を経て、都内のメーカー海外営業部に5年勤務しました。
30歳までに「今しかできないことをしたい」と考え、26歳でタイのホテル業界に入り、首都バンコクで4年間働きました。このタイへ行った経緯は、また別途触れたいと思います。
毎日ホテルでのコミュニケーションは、日本語、英語、タイ語。このタイ語こそ、最初は不安材料でしかありませんでした。
でもタイ人はとても大らかで、下手なタイ語でもタイ語を話すことをすごく喜んでくれました。日々顔を合わせば「ごはん食べた?」「お互い忙しいね」のご機嫌伺い。
「人と話すことはこんなに楽しいものなんだ」と気づかせてもらいました。
働いていたタイのホテル
TOEIC700点でも無力、試験英語を手放す
ここで、タイに渡った時の私の語学力についてお話します。
当時英語はTOEIC700点程度、タイ語はゼロでした。タイ語は仕方がないですが、英語は全く使いものになりませんでした。
英語の試験でどんなに点数をとっていても、相手の問いに答えられるだけの知識や伝える技術がなければ無力なのです。
ホテルのフロントでは、タイ人スタッフとお客様の英会話に耳を傾けて、受け答えのしかたを盗みました。
仕事以外の時間は、ホテルのサービスについて勉強したり、バンコク市内の観光情報を集めて話の中身を増やすようにしました。
お客様に伝えるための発声や英語発音も自己練習しました。
この時の経験により、「語学の検定試験で点数を取る」活動というものを手放しました。
教室開業、現場を知る講師に
帰国して横浜に住み、結婚。翻訳の仕事をしていた折にリストラに遭いました。その後英語翻訳学校やカルチャースクール講師を経て、2010年、私の得意分野である「接客」、「旅と生活」に強い英語・タイ語教室を開きました。
その頃の日本国内はインバウンド推進。私も商工会議所や商店街などで接客英会話、手書き英語POPセミナーのご依頼をいただいていました。
接客・商売の現場を知る講師でいたかったので、外国人のお客様が来店するお店で働くようになりました。現在も講師業と両立しています。
過去のセミナーの様子
英語・タイ語と生きる理由は多様であっていい
語学教室というと、ネイティブの先生、英検、TOEIC、タイ語検定などのイメージをお持ちの方も多いと思います。
でも、そういうものから離れた英語・タイ語教室も世界に一つくらいあってもいいと思いませんか?私は英語、タイ語と生きる理由は多様であっていいと思います。
2020年のコロナ禍以降は、タイドラマ流行の影響で「推し活」目的の生徒さまもいらっしゃいます。初めての方が自分の人生目的のために学べる英語・タイ語教室こそ、私の教室です。
日本人が話す英語、タイ語を知ってほしい
タイのホテルを始め、20年間の接客業の現場で、70か国以上のお客様と英語でお話してきました。
生徒さまには、私が話す英語、タイ語を聞いて、「日本人として話す英語、タイ語」を知っていただきたいです。
共に異国の文化も学ぶことによって、生徒さまが他の国の人とあったかな関係を作り、豊かに生きられるようお手伝いを続けたいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。