愛について
エーリッヒ・フロム「愛するということ」を読んだ。
自分が今まで悩んできたことは、すべて「愛」についてのことだったかもしれない。親からの愛のないこと。自分を愛せないこと。人を上手に愛せないこと。「すべて一体感を味わいたいがため」というフロムの主張は(詳細は原典を確認していただきたい)、とてもよくわかった。
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私はうつ(診断はされなかった)で悩んでいたころ、この苦しみと同じようなものを感じている人たちのために、作品を書いておかねば、と思って、ずっと詩を書いていた。いつかこの病が治ったときに、自分と同じような人たちを私の詩で救おう、そう考えていたのだと思う。
苦しいとき、この世のすべてが苦しく感じるものだが、その最たるものは、「言いたいことが言えない」「やっとこさ言葉にしても、それが受け取ってもらえない、理解してもらえない」ことだ。私はそれを知ったし、それから、世の中のいくつかの表現に、私の気持ちを代弁してもらった経験もした。当時は、「今こそ、この苦しみを書き残しておくべきとき」と思っていたのだと思う。
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それから数年が経った。私はどうにか病から抜け出し、表面的には普通の人として生活している。一緒に仕事をする人たちは、私を重宝がってもくれる。私自身、あの頃と比べれば、随分マシになったと思う。そして、あそこから、随分遠く離れてしまったなと思う。
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あの頃考えていた「私の力で誰かを救おう」という気持ちは、なくなってしまったわけではないが、遠く離れてしまった。あの時は、私が元気になれば、"その苦しみ"を知っている私が、私だからこそ、誰かを救えるようになる。そう思っていた。だけど、そんなことはなかった。
私の苦しみは、あくまでも私の個人的なもので、他の○○が好きとか、こういうものに価値を感じる、とかいったものと同じように、共有できないものだった。あの時の私の詩は、あの時の私を救いこそすれ、他の"同じような"(あの時私が、世界のどこかに確かに存在すると信じていたような)人たち、そんな人たちがもし居ればの話だが、その人たちと、"共有"できるようなものではなかったのである。
そしてそれは、今の私と、あの当時の私とでも、同じなのである。あの時の私の詩は、あの時の私を救いこそすれ、あの時の私と地続きの(あの時の私が、将来の自分は今の苦しんでいる自分ときっと全く同じものであると信じていたような)今の私を、もはや救うことはない。
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私はこのことに、深い断絶を感じることもできる。感じることもできる、と書いたのは、私は今、私自身に感じては、それほど深い断絶を感じてはいないからだ。つまり、あの頃の私と、今の私の間に、あまり断絶を感じないこともできる。
そのことは、私自身の、最近の「自分と和解できた」経験が大きい。自分を死ぬほど恨んでいるものは、それだからこそ"自殺したい"のである。その苦しみに苛まれているとき、色んな悩み悲しみの渦の中、憎らしさや憎悪と共に、色んな人の顔が浮かぶだろうが、実は彼らが一番憎んでいるのは、自分自身なのである。自分の言いたいことを言語化できない自分が。自分を救うこともできない自分が。最も許せないのだ。
それができたら、自分を好きになれる。自分を嫌う必要なんかなくなる。自分のために、他でもない自分のために、言いたいことを言葉にしてあげることができ、助けを自分の元に引っ張ってこれる。
これができたら、誰も自分のことを嫌いにならなくて済む。
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だから、私は、あの時の私と今の私とが、地続きであり、私は私とずっと並走してきたと言うことができる。あの二度と経験したくないような苦しみ悲しみの嵐の中で、私は私の言葉を守り、育て、はぐくんできたのである。正直、私もまだ「自分との和解」を始めたところだから、まだ頼りない絆ではあるけれど。あまりにも遠く離れてきてしまったから。
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あの頃、私は「今(苦しんでいる当時)の私の言葉が誰かを救う」と思っていた。だけども、それは私の個人的な経験だった。私の言葉は、私しか救えなかった。
私はこの半年ほど、「自分への愛」を信じられずにいた。あまりに元気になり過ぎ、「あの頃の私を置いていっているのではないか」という思いに駆られていたからだ。同時に、あの頃思った「こんな私だからこそ、誰かを助け(られる)たい」という、他者への愛というものにも、疑問を持っていた。つまり、私は私の中の「愛」という、それそのものに疑問を持っていたのである。
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私は、私自身とは和解することができた。
しかしまだ、世界とは、他者とは。
和解できないでいる。
2020年1月12日