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Topic 1: Shokinとは?
日記の中に固有名詞が出てくると具体性が増して、はっきりと輪郭をもった過去の出来事として捉えることができます。96年前のサンフランシスコに、ヨーコの日常は確かにそこにあったのだと。
日記に現れた「Shokin」
1929年1月13日(日)の日記に「Shokin」という言葉がでてきます。
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ブランコがあって、縄跳びができる、おそらく公園のようなところなのでしょう。そこに行くと「オヂサン」がいて、一緒に遊んでくれる場所。
この後もヨーコと家族は何度が「Shokin」に訪れているのですが、そこは「パパがテニスをする」「複数の日本人のお友達が集まって遊ぶ」場所のようです。Shokinは地名なのか、公園や施設の名称か、あるいは何か人が集まるようなコミュニティの名前なのか?日記の情報だけではShokinが何なのかは分かりませんでした。
ネット検索だけではShokinの正体に辿りつけずにいたところ、手付かずで整理ができていなかったパノラマ写真を開いたときに、ようやく答えを見つけたのです。
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1926(大正15)年10月31日の横浜正金銀行サンフランシスコ支店のテニスコート開きの記念写真です。「正金」「庭球」の言葉を見つけたとき、ここが「Shokin」の場所で間違いない!となりました。
チーム日本のビジネスマンたちの社交の場
横浜正金銀行は、1880(明治 13)年 に貿易取引の決済業務と貿易金融を目的として設立された銀行で、海外支店網を有する為替銀行として発展し、サンフランシスコ支店は1900年には開設されていたようです。
近代日本が国家として世界経済に乗り出していくとき、まずは商社の三井物産が進出し、海運の日本郵船が航路を開き、横浜正金銀行が支店を出すと言われたこの時代、このテニスコートにはチーム日本のビジネスマンが集まってスポーツという社交を行っていたのでしょう。
サンバイザー、シャツ、セーター、ズボン、靴とも「オールホワイト」のテニスウェアをまとった男性たちはみんな凛々しい顔つき。
当時日本ではゴムマリを使った「軟式(現在のソフトテニス)」が盛んだったようですが、サンフランシスコでは硬式テニスをおこなっていたのでしょうか。ラケット、ボールといった道具類は入手しやすかったのでは。グラスコートではありそうです。
当時のファッション
女性でこれからテニスをプレイするような方は見当たりません。一列目の席につく女性のみなさんは、ひざ下丈のワンピースドレスに足元はストラップ付のヒールパンプス、毛皮の襟、袖で飾られたコートをまとっています。そして一番目を引くアイテムはクロッシェ・ハット(釣り鐘型の帽子)。クロッシェとボブ・ヘアという女性解放のためのスタイルは、パリで生まれ、1920年代にヨーロッパ、北米で大流行しました。いわゆる狂騒の20年代のアメリカにおいて、女性のファッション・トレンドは解放がテーマでありつつも、みなさん、淑女としての節度は守られている様子。
男性陣は基本的に中折れ帽、スリーピースのスーツにネクタイでザ・ビジネスマン。これが彼らの戦闘服という出で立ちです。
Shokinは横浜正金銀行サンフランシスコ支店のテニスコートだった
1926年といえば、日本郵船会社はその年の3月15日よりサンフランシスコ航路線を開始しています。ヨーコたちもその頃にシアトルからサンフランシスコに移り住みます。
さて、この写真にはヨーコ、父、母、妹キョーコの家族全員が写っています。そしてお気づきでしょうか。ヨーコがまたしても正面を向いていないことに。ヨーコ母と一緒に、母の膝の上に座る妹キョーコを見ています。
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一方、ヨーコ父はまっすぐカメラを見ています。ヨーコ父は日に焼けて、「オールホワイト」の装いで、この日もテニスを楽しんだのでしょう。
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こちらはコート開きから1年半くらい経ったころ。TENNES COURTSの表示の下にThe Yokohama Specie Bank=横浜正金銀行と読めます。当然「Shokin」という英語表記は使われていません。とはいうものの、「Shokin」といえば、このテニスコートとヨーコは認識していたのでしょう。
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ヨーコたちは週末テニスに赴くことが多いのですが、それは専らヨーコ父に連れられてというもの。各地のテニスコートに訪れてはプレーをしています。写真もあるのですが、それはまた別の機会に。
Shokinニイツテブランコトjump ropeトオヂサントアソビマシタ ウチエカエツテカラsho-wa-lowノFly-liceトnoodleヲトツテタベマシタ
— ヨーコの日記 Yoko's DIARY (@yokodiary1921) January 13, 2025
正金に行ってブランコと縄跳びとオジさんと遊びました。お家に帰ってから昭和楼のチャーハンと麺の出前を取って食べました。