お米を超えるカード

【お金を使うかを決める基準は“お米”でした】
自分はたくさんお金を使ってもらってきたから、もう自分のためにお金を使わなくてもいいなあと、思っていました(いました)

聖なる犠牲心、奉仕の精神から思ったのではなく、
こんなに大きくさせてもらったし
大人になれたし
学校も卒業させてもらったし
なんだかもう満足でした。

何かお金で好きなものを買うとき、わたしはお米が基準でした。
スーパーマーケットなどで買えるお米は、5キログラムで2000円から3000円。10キログラムで4000円から5000円。
新鮮なうちに食べたいので買うのはたいてい5キロ。3000円を超える金額をわたしの遊興のために、つまりいっときの興奮やハッピーに使う事へは、あまり価値を感じませんでした。

欲しいものはつくったり工夫したりしていく、そのプロセスも楽しいですし。
(二十歳の頃に「手軽な娯楽、いっときの気晴らしでわたしは満足したくない」などと代ゼミのテキストに書くようなにんげんですよ?二十歳で代ゼミ…わかりますか?😆)

【カードがお米を超えてきた】
お金を使うかを決める基準は“お米”でした。
そんなわたしが社会人・結婚・引っ越し・子育て…を経て、山の中の温浴施設・オールハンドのエステティックスパサロンで働いていたときのこと。

オーラソーマのプラクティショナーさんをしている職場の先輩から、オラクルカードというものを教えてもらいました。

神や天使からのメッセージとのこと。
「その印刷物に神がいるということですか?大量に刷っていても神は宿るものなのでしょうか?」
などと質問したわたしです。
そうではなくて、と先輩はやさしく教えてくれました。

その後、俄然オラクルカードへ興味のわいたわたしは、印刷物を通して世界と対話するシステムを研究したくなりました。

パソコンで無料でオラクルカードを引けるサイトを見つけたときは何十回と引き、どんな仕組みなんだろう?このサイトの目的はなんだろう?とおもしろく思いながら、販売ページのレイアウトや無料と有料のバランスなどを見ていきました。

そして値段。
お米の値段を超えているカードの価格を見てわたしはほんとうに驚いたのでした。

お米換算で、5キロじゃなくて10キロを買える値段がつけられたカードです。
お米の価値とカードの価値をくらべていった結果、
これは、明日への糧ではないのだろうか?と思うに至りました。

【VISA/Master Card】
わたしは本屋さんへ行きました。
有隣堂。
そこではオラクルカードがたくさんありました。
10キロのお米を超える覚悟で来たのですが、カードの大きさが小さめのものだとお米にして5キロの価格でした。
わたしははじめて、オラクルカードを買いました。
ミニサイズのイルカのカードでした。
お会計時に「プレゼントです」と言ったのは照れ隠しでした。

ミニサイズのオラクルカードが手に馴染んだ頃。
買おうと思ってやめておいた大きなサイズのオラクルカードが気になりました。

カード一枚ずつの縁に金粉が印刷してあった
アセンデッドマスターカードでした。

手元に置きたいか?わたしは決めかね、オラクルカードを買うかどうかをオラクルカード無料サイトでオラクルカードをひいて決めるということをしました。
しかもそのときのサイトで使用していたカードはアセンデッドマスターカードでした。

アセンデッドマスターカードを買うかどうかをアセンデッドマスターカード(無料)でひく。
ひくとYesとかあなたの心にきくとか出る。
こういうプログラムなのだとしたらおもしろいと思いながら。

【アセンデッドマスター】
お米を超える物品を買うこと。
それを決断するきっかけと理由を、偶然と神様に決めてもらおうとしたプロセスを書いてきました。

結局わたしはアセンデッドマスターカードを買いました。
お会計時には「プレゼントです…」と伝えました。

はじめて引いたカードはメルキゼデク。
独特な、宗教団体のチラシ感のある画風が馴染めませんでしたが、嫌いではありませんでした。

金の縁のカードは美しかったのですが、
カードをシャッフルするたびに金粉で咳が出るのがおもしろかったです。

カードを通して、三大宗教の始祖は偶像を崇拝することをすすめてはいないとききますが、その理由もわかるきがしたのです。

形があれば自然とそこへひとの意識が向く。
想いに生命力を分け与えることができてしまう。
怖れか畏れがあれば恒久的に存在できる源を得ることができる。
「悪魔」という発明もそのひとつだとおもいます。

美しい祈りを向けてくださった先人のおかげで
たくさんの読経のおかげで
萬回千回のマントラのおかげで
恩恵を受けていることも実際のことです。

アセンデッドマスターカードはわたしの意志を育ていくときに出会ったカードだと思います。
直感が合っているか間違っているかと不安だった私へ、間違うも何も単なる直感なのだからと思えるようになったのは、あのときの経験によるものが大きいと思います。

こまごまと経験できたことに感謝しています。
読んでくださった方へ感謝致します。

ジュン

「感謝と応援の循環金」をありがとうございます。大切にお預かりして、次の世代、次の世界へつながるように渡していきます。