大局観で自身を見守ること
うまく行かないことや成功しないことへの不安は尽きません。
大局観が必要だと感じていますが、それはなぜ乏しくなったのだろうと考えることがあります。
大局観は四季と暮らすなかで養われるものなのかもしれません。
待つことは生まないことではないとわかっていて、何をも生まない時期も必要で、そんなことは四季と共に生きると自然と身に付くのかもしれません。
四季と共に生きて、火と水を制御しながら活かし、風という高低差を使いこなして、土や鉱物を秩序へ活かすといったことを昔の人たちはこなしていた。
四季と共に暮らすことは、死を組み込んで生きることだと感じます。死後から今を見たときに自身への慈愛が満ちていきます。
大局観を養うことは帝王学でもあり、今の平等意識では育まれにくいものだと感じます。
地政学は戦後に廃止された学問のひとつでした。
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占い師として書き留めたものです。
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こんにちは😌🌸
ハッピーじゃないときがあります。
そんなときは、
ハッピーなことを探したり
見えていないところの流れを知ったり
実は今現在受けている恩恵へ目を向けることは大切なことだと思います。
ハッピーじゃないとき、もうひとつ、大切なことがあります。
心のなかの焦りやモヤモヤ、おもしろくない気持ち、不安感などを
そのまま受けとるということです。
どんなときでも、見えないところでは力強く着実に進んでいます。
だけど、はっきりしない見通しのなかでその流れを信頼することは、時には難しいものです。
ハッピーじゃないとき。ただ待たなければならないとき。
守られていて導かれていることを信じられないとき。
わたしは、嵐の日に電線にとまるすずめや、激しく揺れる草の葉にとまるトンボや、
家の壁やガラスへとまって静かにしている羽虫を思い出しました。
そして、これまで食べてきた果物やお米を思い出しました。
わたしが食べたのは、まだ実らない時期を経て実った結果だったということを、思い出したとき、
着実に準備が進んでいることへ感謝ができる心のアンテナが立ちました。
ハッピーじゃないときでも守りと導き、涵養のエネルギーは、流れている。
赤い花には赤い花が咲くようにという流れが流れています。
太陽の光の総積算量が充ちるまで、花は咲きません。
充ちたから、花は咲きました。
必ず必要なことは成されます。
不要なものは持って行けません。
ただ待つことが仕事である、そんな時もあります。
だけど、必ず花は咲くようにできています。
ハッピーなときも、アンハッピーなときも、いつでも、あなたはまことのあなたになる道を歩いています。
あなたは立派でした。
これからもあなたは守られています😊
ミオウ