『まっつん と ぼく』
まっつんは、化け物でした。
時には、言葉で。
時には、表情で。
時には、動きで。
時には、状況で。
まるで、うねりのような爆笑を生み出します。
その誰も想像しない角度からの笑いは、見るもの全てを魅了します。
そんな、まっつんを讃える人たちが、この世界にはたくさんいました。彼は日曜日よりの使者として、まるで笑いの神様のように、崇め奉られる。
まっつんは、化け物のようなコメディアンで、コメディアンのような化け物でした。
ある時、まっつんは、漫才師でした。
まっつんの漫才はそれまでのアップテンポな漫才とは異なり、まるでチンピラの会話のよう。これを芸なんて呼べるものか。偉大な師匠は怒るばかりです。
しかし人々は、まっつんの漫才を聞いて大爆笑しました。彼の言葉は、漫才という王道の裏をかきます。
そうして、まっつんのぼそっと言い放つボケは、瞬く間に他の漫才師たちに普及しました。
しかし、まっつんは満足しません。
まっつんは、そこからさらに話芸を進化させ、フリートークという一つの漫才の完成系を作り出します。
これは、もはやネタを作るのではなく、初めから会話の応酬のみで進めるというもので、今やお笑い芸人を目指すものなら誰もが憧れるフォーマットとなりました。
ある時、まっつんは、コント師でした。
まっつんのコントには、ベタさも、暴力性も、下品さも、何でもありました。子どもの頃こそ怖いコントも大人になった今見ると、その奥深さに驚かされます。
けれど、まっつんのコントが何より魅力的なのは、その『切なさ』でした。まっつんのコントの中でも忘れられない作品があります。
それは、まっつんがトカゲのおっさんになるコントです。あの少年とおっさんのやりとりや、ラストのオチで踊るおっさんの姿は、面白さのなかに寂しさがありました。
その切ない笑いというものは、運動も勉強もゲームもろくにできない僕にとって、すごく前向きになれる言葉でした。うまく行かないことや、人と折り合いのつかないことが笑いになって昇華される。
この世界には、見方を変えればそのような素敵な表現があるのか。それなら僕にもできるかもしれない。そうやって、僕はこれまで生きてきました。
ある時、まっつんは、大喜利をする人でした。
大喜利と言えば笑点が有名でしたが、それを『この歯医者、アホだな、どんな歯医者?』のようなフォーマットにしたのが、まっつんです。
そんなまっつんですが、大喜利的なフォーマットとして写真で一言は本当にすごい着眼点だと思います。
画像に一言添えて落とす言葉遊びはSNSの今でこそ一般的ですが、それを公共の映像でそれも、素晴らしい角度で何度も答える姿は、笑いを追求する仙人のようで、霞を喰らうような生き様に憧れた人間もたくさんいると思います。
ある時、まっつんは、司会者でした。
まっつんは、一言で落とすことに他の追随を許しません。ゲストが受けようが滑ろうが、支離滅裂なことを話そうが、全てはまっつんのフリでしかないのです。
どのような状況下でも、まっつんが一言話せば、それで爆笑が起こる。それは、その場を絶妙に言い表した例えだったり、思いもよらない角度であったり、ほんの一フレーズで全てを変えるのです。これは、まっつんにしかできない技法です。
ある時、まっつんは企画の主催者でした。
笑ってはいけないシリーズから始まり、IPPONグランプリ。ドキュメンタル。滑らない話。面白いものを一つのフォーマットとして作る天才。それがまっつん。
僕は、彼の作り出す企画を見るたびに、ああ、面白いなあ、もう少しだけ生きてみようかなあ、と思うのでした。
ある時、まっつんはシンガーソングライターでした。
エキセントリック少年ボウイという曲は、今でも僕の耳に残り続けます。
そして、僕の大好きなクリスマスソングソング『チキンライス』。これは、普段笑いの面しか見えないまっつんが描くからこそ映える温かな曲です。いわゆる切なさの極地がこのチキンライスだと僕は思っています。
いつだって、どんな時にだって、まっつんは寄り添ってぼくの世界を救ったり、支えたり、時に傷つけたりしました。
けれど、ぼくは、そんなまっつんの生み出す世界が大好きで、愛おしくて、どれだけ辛い日々も。どうしようもない世界も、まっつんと共に、乗り越えてきました。
乗り越えてきたのだけど。ある時、まっつんは僕の世界から消えてしまいました。
きっと僕たちは、一歩ずつ大人になっていって、できないことや、辛いこと、苦しいことに、どうしようもないことへと出会っていくのだと思います。その度に、幼いことに抱いていた全能感は消え去り、手元にある、限られた才能や経験で勝負をするしかありません。
そうして厳しい現実とコミットしていくうちに、生きる糧になっていたエンターテイメントが効かなくなっていく。
さまざまな方へ愛されてきたエンタメが、昨年いろいろな形で壊れていきました。その壊れる様や是非についてはここには記しません。
ですが、エンタメの求心力が弱くなっていく様を僕は、まざまざと見せつけられるような恐怖を感じたのです。
そして、それは僕のようなエンターテイメントを糧にして生きてきた人間からすれば大きな問題でした。
傷つきながら生きていく術だったはずが、それすらも無くなっていく。じゃあ、僕たちはどうやって生きていけばいいのでしょうか。
まっつんだったら、この状況も笑いに変えるでしょうか。けれど、僕はまっつんではないので、思いつきません。
今、僕の世界からまっつんが消えたことを、小さな夜の蛍光灯を眺めながら考える日々が続いています。本当なら、この、お話の結末は、あのまっつんが、最後の笑いを残して終わるはずです。
それが、素晴らしい笑いでも、凡作でも、駄作でも、まっつんと生きてきた僕からすれば、感慨深いものだったはずでした。
けれど、それすらも、ひょっとしたら叶わないかもしれない状況になってしまった。最後の結末を急に奪われて、僕は、行くあてもなく彷徨うような日々です。
効かなくなっていったエンターテイメント。けれど、奪われて、その効力がなくなることは少し異なるように感じます。僕は、この結末が書かれていない物語を持ちながら困りあぐねています。
まっつんでもない僕が、まっつんのことが見えなくなった世界で、どうこの物語に落とし前をつけるのか。エンドマークをつけるのか。
『だから、これから、予行を行おうと思う。』
『君たちには、まだ終わらせるものとしての自覚が足りない。
私たちは、これから、まっつんとぼくとの物語の、結末を描く予行練習を行っていく。』
『まっつんの物語が、いつ終わっても良いように、私たちは別れの練習を行うのだ。エンターテイメントに永遠がないのなら、その気持ちの整理と、深い愛を示すことを決して忘れないようにしよう。』
桜の蕾がつき始めた今日。
僕たち私たちは、まっつんとお別れをします。
まっつんとの思い出は、数えきれません。
そのどれもが、笑いの中にあるように感じます。
幼い頃に見た、ごっつええ感じ
普段笑わない父親が大笑いしていた、声を出してはいけない旅館。
夢中になって見続けたM-1グランプリ
一生懸命マネをし続けた、すべらない話。
涙が溢れて仕方がなかった、チキンライスの歌詞。
笑いの才能に圧倒された、フリートーク。
大人になってみた、ごっつええ感じ。
金髪になった、まっつん
マッチョになった、まっつん
コントで女装する時に髭は、剃らないまっつん。
その年で、ダイアン津田とナンパにいったみたいな話をしていた酒のつまみの話。
去年のM-1で令和ロマンの松井ケムリに汗臭い話を降っていた姿。
全然面白くなかった映画。
映画館の中で、なぜか、観客の女性が、「これがまっつんよね」と言っていた、さや侍。
Twitterの感じ。
とうとうきたねの、文面のきつさ。
ただ、同期というだけで偉そうなトミーズ雅。
ほんこんの、あの感じ。
今田耕司が、時折見せるまだ若い気持ち持ってるでの感じ。
けれど、久しぶりに見た、浜ちゃんとの漫才。
あなたのせいで、人生がおかしくなった僕がいます。
お笑いに救われて、自分の意味や、自分の存在価値をお笑いにみつけようとして、そして、どうしようもなくなった今があります。
仕事辞めたいです。
33歳、もう、人生訳がわかりません。
周りは結婚しています。子どももいます。
僕は、刺し棒を持って足掻いてもがいてます。
まっつんが見えなくなった今、僕がまっつんになろうとしているのかもしれません。
もちろん、なれないことなんてはなからわかっているのに、です。
まっつんが日曜日よりの使者から、大好きな芸人になってしまった今。
バケモノだとは、もう思わなくなってしまった今。
けれど、それを嫌いになんかはできないので。
僕は僕なりに、この感情を持ちながら、いつか来るだろうさよならの予行をこんな風に繰り返していこうと思います。
それがハッピーエンドでも、悲劇でも。
僕が生きている限りは、まっつんの姿が化け物に見えなくなった今でも、静かに待ちます。
月日は流れました。僕は、見えなくなったまっつんを待ち続けます。何日も何日も、頭の中で反芻しながら。
そうして、ある日、まっつんの物語が新しく更新されました。僕は静かに、そのページをめくります。
そうして思わず声を挙げました。
この一連の物語を書いた『ぼく』が『まっつん』の結末をみた表情から、一言。
まっつん「うーん、君、ハワイの置物みたいやね。」
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