ディマシュ・マレーシア・ライブ2023『ギブミーラブ』感想&妄想考察
(Dimash 19)
(9432文字)
(第1稿:2023年6月25日~30日)
① 動画:(インスタより)『ギブミーラブ(MAHABBAT BER MAǴAN)』
by simona.paeonia (カザフ語タイトルは『Махаббат Бер Маған』)
どうしよう、こんな特別なコンサートになってしまうとは……。
この曲だけで号泣なんだが……。
【今までで一番悲しい『ギブミーラブ』】
6月24日、現地時間の夜8時半、日本時間の夜10時半ごろから始まった、ディマシュの「マレーシア・ソロ・コンサート2023」。
その日私はNOTE用の投稿文を編集しながら、dearsがこっそり大胆にもYouTubeでライブ会場から始めたストリーミング中継を見ていた。
しかし画像も音声も非常に悪く、こりゃ雰囲気はわからんかな?と思い、とりあえずディマシュが無事にコンサートを終えるのを見届けるだけにしようと思っていた。
なにせ彼はマレーシアの空港に到着した時、5月のトルコ・コンサートの時よりも、目で見てはっきりわかるほど痩せてしまっており、あまり食事を取っていないことがうかがえて、3時間を超えるライブに彼の体力が持つのかが心配だったのだ。
このコンサートの少し前に亡くなった彼の祖父は、彼にとっては10才まで自分を育ててくれた、実質的には「父」でもあった。
彼は家族の中でただひとり、2重の意味で遺族となっていた。
そして、状態の悪いこのストリーミングからでも、ディマシュが20%ぐらい「心ここにあらず」な感じがわかってしまった。
最初の曲こそ良かったが、2曲目からは、昨年9月のカザフ・アルマトイ・ライブでのあのお祭り騒ぎ感、今年の5月のトルコ・ライブでの溌剌とした感じは、なかった。
この子は今、ちょっと気を抜くと、物思いにふけって閉じこもってしまいそうだ。
そんな感じだった。
明けて次の日、昨日のディマシュのマレーシア・コンサートを見たdearsの動向をチェックしようと思ってインスタグラムを開いた。
すると案の定、怒涛のようなdearsの大量投稿が。
その中にあったのが、この歌のこの動画。
それを見ながら、私は不覚にもマジ泣きしてしまった。
この動画の投稿のコメント欄に誰かが書いていた通り、
「今までで一番悲しいMBM(原題の頭文字)」
だった。
②動画:(インスタより)『ギブミーラブ(MAHABBAT BER MAǴAN)』
(カザフ語タイトル『Махаббат Бер Маған』) by dimash_dears_downunder
・①よりも舞台にかなり近いところからアップで取った動画。
音は①の方が良い。自分のための動画埋め込みですハイ。
【クダイベルゲン家の事情と、コンサート事情】
祖父の死去と葬儀は、もちろん、ディマシュだけの問題ではない。
ディマシュの音楽活動は、まるで「家内制手工業」のような状態で、家族・親戚・友達まで総出の、「一族あげての音楽興行活動」だ。
祖父クダイベルゲン氏は、引退するまで農業関連の仕事で「ディレクター(監督)」をやっていたそうだ。おそらく家庭でも、心理的に皆を監督するような立ち位置にいただろうと思う。お祝い事や一族の集まりの食事の前には必ずこの祖父が「バダ(祝福)」の祈りを唱えているのを、ディマシュの動画でよく見かけていた。
そのような一族の精神的な支柱を失って、このコンサートの日まで、この一家はいったいどんな日々を過ごしていたのだろうと思っていた。
実はこのマレーシア・コンサートは、当初、昨年の11月19日に予定されていた。
ところが、一部チケットの販売がすでに始まっていた10月10日、マレーシア連邦議会が解散し、総選挙がディマシュのコンサートと同じ日に行われることが10月20日に発表された。そのため、ディマシュ側がコンサートの延期を余儀なくされてしまった。
マレーシア到着直後、クアラルンプールの大学で受けたインタビューでディマシュが語った内容からすると、日程の延期後、コンサート自体の開催が危ぶまれたらしい。だがディマシュの父カナト氏の尽力で12月初めになってやっと代替日が決まり、次の年の6月24日となった。
そして、延期されたコンサートの開催日11日前になって、彼の祖父が亡くなったのだ。
祖父の葬儀の時の様子を見ても、彼の周り、特に家族がどう考えるだろうかと訝っていた。
コンサートの中止、もしくは延期もやむなしかな?と思っていた。
ただ、ディマシュ本人の意志としては、やる気だろうなとも感じていた。
【コンサートの様子・前半】
さて、1日たってYouTubeに上がっていた、音声、画像とも良好なコンサートの動画を見た。
3曲目の『If I Never Breath Again』から、もう違っていた。
技術的には5月のトルコ版の方が良いが、このマレーシア版は歌というよりもつぶやきのようで、コーラス1からもう声に泣きが入っている。
ピアノがディマシュの揺れるテンポに合わせるために、いつも以上に神経を使っているのもわかる。
ディマシュの歌声はもともと「悲しみの色」を多く持っている。だがこの夜の彼は、すでに何日も前から彼の胸の中にあった生身の感情を抑えきれず、制御できないままに歌ってしまっているようだ。最後のコーラスでは涙をこらえているようで、音程が乱れた。そして、コーダを美しい讃美歌のようなメロディで締めくくった。
私はこの曲が大好きで、色々なコンサートのバージョンを聴いているが、今回の歌が1番、胸に響くバージョンだった。
7曲目の『SOS』は、最近あまりよく出ていなかった高音部が、おそらく痩せたからだろう、久しぶりに復活し、気持ち良く高音が出ていた。
だが、いったん落ち着いていたディマシュの感情が、歌の途中から再び大きく変化する。
「漫画の世界みたいに」のフレーズから、また感情の制御が効かなくなり、声が乱れ、感情のフローが起こる。
「宇宙のロト」の手前からディマシュは床にひざまずきながら歌うが、その右肩の背後あたりに、彼の祖父がいるような気がした。
するとそのあとのヴァース2、「なぜ死ぬの?」の箇所で、ディマシュが顔を右に動かし、右上を見る。
ええぇ……、それ私の妄想じゃなかったの……?
2度目の最高音部は、まるで感情のフローから逃れるためのような、超絶ハイ・ロングノートだった。
最後のフレーズの「眠れ、子供のように」の前には天井を見上げ、一瞬、泣き出すかと思った。
持ちこたえて歌い終えたものの、影響は続く。
次の『Unforgettable Day』も、その影響で前半がものすごく哀しい湿った歌になった。
ディマシュが作曲し、作詞はカザフの伝説的詩人オラル・バイセンギル。 歌の意味は、愛する人と出会った日を「忘れられない日」として喜びを歌う歌だ。だが、今のディマシュにとって「忘れられない日」とは、祖父の死の知らせを聞いたあの日だ。それが歌に出てしまう。
ヴァース2のコーラスの手前で、急にチェストボイスの太い声にチェンジし、それで制御を取り戻して、コーラス2から本来の歌の表現に戻った。
だが、最後にピアノがエンドのノートを弾いたのに、ディマシュにしては妙なつなぎ方でさらに歌い続け、観客に歌わせる。ピアノが伴奏を付け加えた。そのあと「オーマイゴッド」と言いながら何かを話し、正式にバックバンド無しで観客に歌ってもらうと、彼は深々とお辞儀をした。
その後ファンキーな2曲が続き、ゲストとして招かれたマレーシアの歌姫シティ・ヌールハリザ(Siti Nurhaliza)のソロを何曲か。
弟マンスールのギターソロと、弟が作った新曲などを挟み、2弦楽器のドンブラ合戦、カザフ民謡と続いた。
一見楽しそうだが、バックバンドやコーラス隊が、いつもと違うディマシュの「重さ」に、あきらかに戸惑っている。また、彼のテンポ感、リズム、雰囲気が、1曲の中でも極端に変わるため、合わせようがないのだ。時々、リハーサルとは違うんじゃないかというような、バックを無視したような歌い方をしたりもする。ピアノがものすごく頑張っているので目立たないけど。そのかわりなぜかリードギターは弾き易そうで、ギターソロは超良かった。
またディマシュは、ここまでの曲のいくつかで、歌い終わったあと客席に背を向けて舞台の奥に戻る時、目をぬぐうしぐさを繰り返していた。
【19曲目、『ギブミーラブ』の様子】
2時間ほど経った19曲目に、この『ギブミーラブ(MAHABBAT BER MAǴAN)』が来た。
ディマシュは観客に笑いかけながらペットボトルの水を飲み、舞台の階段に座ると、水を床に置いた。
そして歌い始めた。
「私の魂は疲れ、傷つき、悲しみの中にいる」
この最初のフレーズの歌詞がもう、いけなかった。
胸にこみ上げて来たようで、途中で2回、瞬きをした。
2行目の「空にある、あの月のように」では持ちこたえようとしたが目が光り、3行目の「私を高めてほしい」では高音に行けずに低音で歌い、4行目の「運命の階段よ」では目を閉じた。
コーラス1に行く前には、ブレスをするための口の端がへの字に緊張してしまい、ああ、いつぞやの泣き顔をこらえている時の表情だなと思った。
コーラス1を歌い終え、ディマシュは下を向いて、一瞬歌うことを忘れてしまう。
あるいは、自分は今コーラス2を歌い終えたのでブリッジ(間奏)が来ると思ったのかもしれない。
ヴァース2の入りが遅れ、急いで追いついた。
近くにあったモニターで、この個所の歌詞を確認しながら歌っていた。
このヴァース2で、ディマシュの左手は不思議な動きをする。
手のひらの下にある何かを掴もうとしているかのような、緊張した子供の手のような形のままフリーズする左手。
一瞬力が抜けて手首がだらんと下がるが、そのまま再び緊張する左手。
③動画:(インスタより)『同』by lilechkazak830.di
・やや近い場所から、ディマシュの左手の動きが良く見える動画。
この時彼は、マイクの指向性か、今持っているマイクの種類を一瞬忘れた可能性もある。口元でマイクを垂直に立ててしまい、マイクが声をほとんど拾っていなかった。途中で気がついて直していたが。
コーラス2でやっと、指先をこすり合わせて歌に没頭する、いつものしぐさが出現した。
加わったコーラス隊が彼を支えようとするが、彼らをそっちのけで自分の世界に入ってしまった彼の歌。
コーラス2を歌い終わり、彼は膝を抱えて下を向いてしまう。
なんとわかりやすいしぐさをするのだ、君は。
少しして顔を上げ、まるで夢から覚めたような表情であたりを見回す。
滲んでいた涙が乾く頃、バックバンドの音楽に体を揺らす。
するとまた、胸にこみ上げて来たようだ。
それが不本意だったのか、口をとがらせてからちょっと微笑み、また歌い出した。
④動画:(インスタより)ブリッジ(間奏)の時の動画。
by dimash_dears_downunder
(皆がこの瞬間を切り抜いてIGに投稿しまくっている……)
【コンサートの様子・終盤】
終盤、去年9月に発表された新曲2曲、スペイン語の『El Amor En Ti』と、10分もある『The Story Of One Sky』を終えた。
23曲目は、『行かないで』の中国語バージョン。
この曲も「別れの歌」なのでどうなることかと思ったが、外国語(中国語)だからなのか、彼にとって歌いやすいメロディだからなのか、逆に元気を取り戻したようだ。もしかしたら『One Sky』でやっと胸が空っぽになって、逆にエネルギーをチャージできたのかもしれない。
曲のあとにバックバンド無しで客席に歌わせるが、この時とばかりに中国から来たdears達が頑張った。
前回のトルコでも、中国人dears達が悲鳴のように高くバカでかい声で一緒に歌っていて、ディマシュがそれを「スゲエな……」と思ってそうな笑顔で聴いていた。
今回のストリーミング中継でも、視聴者達がそのことを覚えていたようで、「中国のdears、行けえーーー!!!」と、みんながコメント欄で中国人の女の子達を応援していた。
なんとなくだが、ディマシュはこのライブの間、観客の声援や歌声によって、見当識を回復しているような感じがした。
『Screaming』では、いつも舞台から降りてファンとインタラクトし、バックバンドなどを紹介する。今回は非常にラフな歌い方で、音程が外れようがリズムがおかしくなろうが気にせず歌っていた。
舞台ではダンス隊が楽しそうに踊り、カザフのお菓子を投げている。
そういえばディマシュは今回、ダンスをあまり踊っていなかったな。
個人的には、ダンスが嫌いで苦手なら歌に専念してくれればそれでいいので、意外とこの「ダンスのレッスン出来ませんでしたのでやりません」状態は大歓迎だ。
客席のVIPゾーンを一周し、あまりの近さに動画録画者が動揺し、ディマシュはガッツポーズで曲を終えた。
最後の曲、25曲目の『Let It Be』(ビートルズの曲ではない)。
コンサートでは普通、最後の曲のあとにアンコールがあるものだが、ディマシュのライブにはアンコールはない。その代わり超絶長い。
なのでこの曲が本当に最後の曲になる。
ステージの張り出しのキャットウォークに座り込んで歌い、動画録画者が再び動揺する。
ディマシュはまるで、それまでの3時間がリハーサルか発声練習だったかのように非常に調子良さそうに歌い、観客に感謝の挨拶をして投げキッスをすると、のっしのっしと(身長が191㎝もあるので、実は彼は巨人なのだ)ステージを後にした。
【軛(くびき)からの解放】
コンサートを録画していた人物の周りのdearsが、『ギブミーラブ』はいつもディマシュと一緒に歌うので彼に合わせて歌い始めたが、今回はいつもと違う雰囲気に皆が戸惑い、コーラス1が終わったあとは歌うのをやめてしまった。それほどこの時のディマシュは、いつもと違っていた。
この歌は彼のカザフ語の歌の中で、私が唯一、そらで歌える歌だ。
Dearsなら、一番最初にこの歌を練習するからだ。
だからこそ私も含めてdearsは皆、この歌に溢れてしまったディマシュの心の痛みを、感じてしまっていたのだ。
『ギブミーラブ(原題、MAHABBAT BER MAǴAN)』という曲は、ディマシュが世界進出のきっかけになった中国のTV番組「Singer2017」に出演したシーズン最終回のガラ・コンサートで初演された曲だった。
作詞家によると、コーラスの「愛をお与えください、運命よ」というフレーズは、神(アラー)への祈りなのだそうだ。全体を通して「愛」という名の神の試練に立ち向かいたいと願う「活きた人生」への憧れ、自分を高め、自分を使い果たしたいという願望、そのような主題が歌われている。
普段のコンサートでは会場のdearsと掛け合いで歌い合い、「互いに与え合う愛を祝う」歌のように聴こえていた。
だが、今回のこの歌は、ディマシュが以前インタビューで「祖父母がいるという生活は最も幸せな生活だ。この幸せを手放したくない」と語っていたその幸せを半分亡くし、失った愛の大きさに慟哭する歌となってしまった。
だが私は、彼の心の痛みを聴きながら泣いているのに、同時に喜んでもいた。
おめでとう、ディマシュ。
君は、君が知らないうちにがんじがらめにされていた「世界最高峰の歌唱技術者」という強固な軛(くびき)から、やっと解放され、自由になったんだよ。
今君は、舞台の上で自分の正直な心を、その日の心のその痛みを、そのまま声に乗せて奏でてもいいのだと、気がついたのではないか?
その歌が作詞者や作曲者から元々持たされていた感情ではなく、君自身の、その生身の感情を、だ。
それはきっと、亡くなったクダイベルゲンお爺ちゃんが君に渡してくれた、音楽の秘密の鍵だ。
我々のような音楽を必要とする人間が切望する、音楽を通した音楽家との感情のダイレクトな共有。
特に、心の痛みの共有、そして互いの魂の共鳴。
どんな時代、どんな境遇に生まれても、人生を生きるのは大変だ。
だからこそ、この地球、この宇宙で共に生きる者同士として、我々は愛し合い、赦し合い、優しさを交換し、共鳴し合うのだ。
ディマシュは今回このコンサートで、自分の心の痛みを観客と分かち合い、その結果「自由」を手に入れた。
このコンサート会場に居合わせたdeasは、一生この時のことを忘れないだろうと思う。
【彼の家族の反応】
ディマシュの父のカナト氏は、コンサート後の午前3時頃、自身のインスタに以下のように書いていた。
「我が家の心理的に困難な状況にもかかわらず、7ヶ月前に企画され、何百人もの人々が働いたコンサートを、ディマシュは成功させました。
ステージから降りたお前のムードは、私への啓示だ、Ak Dikom(ホワイト・ディコン)よ……。
私たちの父(ディマシュの祖父)が言ったように「約束は神の言葉」、「生きている人は人生を作らなければならない」……。(以下略)」
(https://www.instagram.com/p/Ct4ksXkg6mv/)
父のカナト氏が、舞台から降りた息子を「ホワイト・ディコン」と呼んだのは、その前にディマシュの母が息子をそう呼んでいたからだと思われる。
コンサートの終盤、彼の母は、以下のようにインスタでディマシュに声をかけていた。
「神のお恵みがありますように、ホワイト・ディコン!」
(Алла жар болсын, Ақ Дикон!)
(https://www.instagram.com/p/Ct3_6A7N4M0/)
ホワイト・ディコン(Ақ Дикон)とは、「白い神の使い」という意味だそうだ。
両親がそろって彼らの息子をそう表現するような何かがディマシュに起こり、舞台から降りてきた彼のムードを変えたのだろう。
彼の妹のラウシャンは、兄にこう呼びかけた。
「あなたの魂の叫びが聞こえた…… あなたの真心が私の心に響いたよ……
今夜のコンサートで感情を抑えるのは特に難しかった……」
(彼女のIGストーリーをシェアしたdearの投稿から。 https://www.instagram.com/p/Ct40p-KAiaH/)
弟のマンスールは最近インスタがブロックされたなどの影響もあって何も投稿していないが、この16才は、舞台で兄と一緒に演奏を始める前と終えたあと、いったいどーしたの!?というほど立派な挨拶をし、ニコニコしながら兄の右の肩(また右側だ)をポンポンと軽く叩いて引っ込んだ。弟は急に大人っぽくなって、兄を助ける気になったらしい。
コンサートの途中、あの19曲目の『ギブミーラブ』のあと、ディマシュはほんの11日前に祖父である「パパ」が死去した件ついて言及し、このコンサートは出来なかったかもしれなかったが、皆さんのサポートのおかげで実現できた、と感謝とともに語っていた。
彼の父母の投稿と、彼のこの言葉から察するに、ディマシュ以外の家族、特に父母は、LAからカザフに帰ってきたあとのディマシュの様子を見ていて、数日後に迫ったこのコンサートをキャンセル、もしくは延期することを強く進言したのではないかと思う。彼ら自身が何も手につかないような悲しみの中にいたはずだからだ。
だが、当のディマシュが、祖父の「真の男は一度交わした約束を破ってはならない」という教えを守り、コンサートをやると言って聞かなかったのだろうと思う。
彼のコンサートには、カザフスタンと開催国との親善の意味があり、開催国の国家的な文化行事として開かれているという側面もある。
また、今回の彼のコンサートを見るために海外から来るファンは、すでに航空券やホテルの予約を持っている。
昨年9月のアルマトイ・コンサートでは、3日後だったかにディマシュも参加する「ファン・ミーティング」を開催する予定になっていた。だが海外からのファンがライブ後何日も現地に滞在できない都合を考えた彼自身の意向だろう、日程がコンサートの「次の日」に突然変更された。マジか!ディマシュ大丈夫か!?と思ったが、4時間のライブの次の日、彼は疲れ切ってヨレヨレの顔ながら、大規模な「ファン・ミーティング」を2時間出ずっぱりで頑張った。
彼は今回のマレーシア・ライブも、延期やキャンセルにした時のファンや開催国のことを考え、自分の個人的な悲しみを二の次にしたのだ。
彼の家族は皆、彼のその頑固で健気な強い意志と、家族の心の痛みをすべて背負って舞台に立つディマシュに、神聖なものを見たのだろう。
それは、私達dearsも同じだ。
【コンサートの意味】
ライブの4日後、ディマシュ本人がインスタにコメントを出した。
「マレーシアでの私のコンサートに来てくださったみなさん、ありがとうございました。感情的に難しいコンサート(an emotionally difficult concert)でしたが、みなさんが私を支えてくれたこと、そのことに私は心から感謝しています。」
(https://www.instagram.com/p/Ct_ulQEMfLA/)
自分の意地でやると決めたコンサートだったが、実際にそれを遂行することは、本人が思っていた以上に難しかったに違いない。
ディマシュはその夜、そこにいる人々……観客も、バックバンドも、スタッフも、ダンサーも、おそらくセキュリティも、ネットでこっそりストリーミングを見ている者達でさえ、全員が今の自分の困難な状況を知っており、彼が最後までやり遂げられるかどうかを固唾を飲んで見守っているという、残酷なプレッシャーの中で歌わねばならなかったのだ。
それはまるで、何かを試される儀式のようだ。
もしくは、「パッション(受難)」かもしれない。
そして、彼はやり遂げた。
重い体を引きずりながら、隠しておきたかったであろう個人的な悲しみが自分の心から溢れ出すのを止められないままに。
そんな彼を助けたのもまた、彼を見守るために集まった人々だった。
舞台と観客の間で交わされる、不思議な絆。
舞台から降りた彼は、聖なる光に包み込まれたように白く輝き、やり遂げた充実感に満ちた表情をしていたのではないかと思う。
コンサートは、いつものような楽しい娯楽ではなかった。
だがそれは、とてつもなく深く、美しかった。
(終了)
P.S.
このように真剣で深刻な状況にありながら、シンガーというのは必ずどこかにコメディアンの要素があり、ディマシュもまた例外ではない。
dearsも彼のその天然なところが大好きで、今回も見逃さなかった。
感動的な『SOS』を別角度から見ると……
『ディマシュ、SOSと彼の靴』 by Dimash Iran 2023/06/25