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『聖なる神殿の奥深く』ドミンゴ&ディマシュ at ヴィルトゥオーソ/妄想感想

(Dimash 40)
(11,672文字)
(第1稿:2024年1月28日~2月3日)


★YouTube動画:
『The Pearl Fishers’ Duet: Au fond du Temple Saint - Placido Domingo & Dimash Qudaibergen (2023)』
by Dimash Qudaibergen(公式) 2024/01/20




【オペラ、難しいよ……】

 去る1月19日(日本時間1月20日)、YouTubeでヴィルトゥオーソ・タレントTV番組(Virtuosos Talent Show)の「決勝・前編」が公開されました。
 その中で歌われた、プラシド・ドミンゴとディマシュの共演によるオペラ楽曲、通称『真珠採りのデュエット』の感想です。
 
 実はこの、世界的テノール歌手であるドミンゴとディマシュの「共演」について、自分の感想がなかなか形にならなくて、とても困りました。
 私、クラシックはバイオリン曲が好きなだけで、それも有名どころを知ってる程度で、ほとんど門外漢です。
「オペラ」は全幕通して聴いたことはなく、有名な曲を有名なオペラ歌手の歌でちょっと聴いただけ。
 でも、感想がなかなか出てこなかったのは、どうもそれだけではないらしくて。

 その理由は、私の中の「ストーリー解析班」のような性質が、このデュエットの表現に「腑に落ちない」感じを持ってしまっていたことでした。
 ドミンゴさんとディマシュの歌唱については、不満はありません。
 なのに、私のその性質が「承服しない」のです。
 この「共演」の動画を1回見ると、そのあと5回ぐらい続けて『Only You (有你)』(音がデカいのでDimashzone版)を再生してウットリ聴く、という体たらく。
 コラ自分!
 何が不満なんだよ!??

 解決策はやはり「作品」自体を解析することでした。
 いやそれ、毎回やってますけどね😂
 でも今回は門外漢の「オペラ」だし、作品は3幕もあって長いし、ディマシュ以外の歌手で歌を聴くのはヤだし(笑)、感想だけ書けばオッケーじゃないかと、軽く考えたのが間違いのもと。
 私のなにかが「承服しない」のは、この歌のストーリーとキャラクターが関わっていたからでした。

 てことで、まずはこの作品のあらすじから見て行きましょう。



【『真珠採り』のあらすじ】

『真珠採り』(Les Pêcheurs de perles、英語ではThe Pearl Fishers、1863)は、フランスの作曲家ビゼー(1838~1875)が作曲した、3幕からなるオペラです。
 ビゼーはもちろん『カルメン』『アルルの女』で有名な作曲家です。
『真珠採り』の初演は一般客には好評だったものの批評家からは酷評され、再演はビゼーの死後1868年まで待たねばならなかったようです。


《資料》

★Wikipedia『真珠採り』(日本語)


★『フランスオペラの楽しみ』より「真珠採り(ビゼー)詳しいあらすじ STORY」


《第1幕》

 セイロン島の海辺。
 主人公のひとり、真珠採りのズルガという男が登場し、部族の長になる。
 そこへもうひとりの主人公、ナディールという男が登場。

(注:ナディールは資料のうち「フランスオペラの楽しみ」では「森の狩人」、Wikipedia『真珠採り』では「漁夫」となっている)

 ナディールは久しぶりに島へ帰って来ていた。
 ズルガとナディールは再会を喜ぶ。
 彼らはかつて、ひとりの女性レイラを巡って争った恋敵であった。
 その時の思い出を語り合うふたり。

(『聖なる神殿の奥深く』で、ふたりはその思い出をデュエットで歌う)

 長老ヌーラバットが、村の守り神となる巫女を船に乗せて島に連れてきた。
 巫女は、生涯にわたって友も夫も持たず、ベールを取らず、神に祈り続けることを誓い、民衆に歓迎される。
 だが、その巫女の声を聞いたナディールが仰天した。
「彼女だ!」
 巫女は昔、ズルガとナディールが争った女性だったのだ。
 巫女もナディールに気がつくが、長老に連れられて祈りの岩に来ると神に祈りを捧げ始めた。
 その歌声で、ナディールは彼女をレイラであると確信する。

《第2幕》

 長老は、祈りの勤めを終えたレイラに休むように言うが、誓いを守るようにとくぎを刺す。
 レイラはかつて子供の頃、暴漢に追われて逃げてきた男を匿い、暴漢に脅されても男を守った話をして、その男から「真珠の首飾り」をもらったことを話す。
 しかし、ひとりになったレイラは暗闇に恐怖し、歌を歌う。
「暗い夜にはあの人が草の葉陰で見守ってくれる、今も彼がそばにいる」
 そこに、ナディールがやってきた。
 レイラは再会の喜びに震えながらも、誓いを立てたことから彼を拒絶する。
 しかし、ナディールの情熱と運命に抗うことが出来ず、次の日に会うことを約束する。
 そこへ長老ヌーラバットが現れ、ふたりを捕えてしまった。
 村の皆が「彼らに死を!」と叫ぶ中、ズルガが現れてふたりを逃がすよう命令する。
 だが、ベールをはぎ取られたレイラを見て、こんどはズルガが仰天する。
「彼女だ! なんという呪いだ!」
 ズルガは怒りに駆られ、ナディールとレイラに死刑を宣告してしまう。

《第3幕》

 ズルガはしかし、ふたりへの死刑宣告を後悔していた。
 そこへレイラが現れた。
 彼女はナディールの命乞いに来たのだ。
 しかし、それによってむしろズルガの嫉妬と怒りが燃え上がり、ふたりの処刑を決意する。
 時が来た。
 レイラは連行される時、「私が死んだらこれを母に」と言って「真珠の首飾り」をズルガに渡す。
 ズルガはその首飾りを見て、レイラが昔、自分を暴漢から救った少女だったことを悟る。
 処刑場に群衆が集まっていた。
 ナディールとレイラは覚悟を決めて、「なにも恐れない、共に死のう」と歌う。
 夜明けとともに処刑が行われようとした、その時。
「見ろ! 村が燃えているぞ!」
 群衆が慌てて村へと帰っていく。
 ズルガが現れ、自分が村に火をつけたのだと言い、ふたりに逃げるようにと告げる。
 ふたりが逃げた後、ズルガの裏切りを知った長老ヌーラバットと村人たちがズルガに襲い掛かった。
 ズルガは倒れながらも、逃げ延びたふたりの歓喜の歌を聴き、安堵しながら息絶えるのだった。


【『聖なる神殿の奥深く』 歌詞】

『Au fond du temple saint』(The Pearl Fishers'Duet)の歌詞

(NADIR)          (ナディール)
Au fond du temple saint     :聖なる神殿の奥深く
Paré de fleurs et d'or,       :花と黄金で飾られた
Une femme apparaît!       :ひとりの乙女が現れる!
Je crois la voir encore!      :僕には、今でも彼女が見えるようだ!
(ZURGA)          (ズルガ)
Une femme apparaît!       :ひとりの乙女が現れる!
Je crois la voir encore!      :俺には、今でも彼女が見えるようだ!
(NADIR)          (ナディール)
La foule prosternée       :ひれ伏す群衆は
La regarde, etonnée,        :彼女を見て驚く
Et murmure tous bas:      :そして小声でささやく
Voyez, c'est la déesse!      :見ろ、あれは女神だ!
Qui dans l'ombre se dresse     :影の中に立っているぞ!
Et vers nous tend les bras!    :我らに向かって手を差し伸べて!
(ZURGA)            (ズルガ)
Son voile se soulève!       :彼女のベールが持ち上がる!
Ô vision! ô rêve!         :おお、幻よ! おお、夢よ!
La foule est à genoux!        :群衆はひざまずく
(NADIR et ZURGA)       (ズルガ&ナディール、コーラス1)
Oui, c’est elle ! C'est la déesse   :そうだ、あの人だ!
Plus charmante et plus belle !    :この世で最も魅力的な、美しい女神!
Oui, c'est elle ! C'est la déesse   :そうだ、あの人だ!
Qui descend parmi nous !    :我らのうちに降臨した女神!
Son voile se soulève        :彼女のベールが持ち上がり
Et la foule est à genoux !      :群衆はひざまずく!
(間奏)           (間奏)
(NADIR)          (ナディール)
Mais à travers la foule        :だが、群衆の間を
Elle s'ouvre un passage!     :彼女はかき分けて進む!
(ZURGA)          (ズルガ)
Son long voile déjà        :すでに、長いベールが
Nous cache son visage!      :彼女の顔を覆い隠している!
(NADIR)          (ナディール)
Mon regard, hélas!        :僕の目は、ああ!
La cherche en vain!        :虚しく追うばかり!

(※以下は、今回のデュエットでは省略)
(ZURGA)          (ズルガ)
Elle fuit!             :彼女は去っていく!
(NADIR)          (ナディール)
Elle fuit!             :彼女は去っていく!
(同)            (同)
Mais dans mon âme soudain   :だが突然、この魂に
Quelle étrange ardeur s'allume!    :なんとも奇妙な情熱が燃え上がった!
(ZURGA)          (ズルガ)
Quel feu nouveau me consume!   :新たな炎が俺を焼き尽くした!
(NADIR)          (ナディール)
Ta main repousse ma main!     :君の手が、僕の手を押しのける!
(ZURGA)          (ズルガ)
Ta main repousse ma main!     :お前の手が、俺の手を押しのける!
(NADIR)          (ナディール)
De nos cœurs l'amour s'empare   :我らの心を愛が奪い去り
Et nous change en ennemis!   :我らを互いに敵に変えた!
(ZURGA)          (ズルガ)
Non, que rien ne nous sépare!  :いや、俺たちを分かつものは何もない!
(NADIR)          (ナディール)
Non, rien!           :いや、何もない!
(ZURGA)          (ズルガ)
Non, que rien ne nous sépare!  :いや、俺たちを分かつものは何もない!
(NADIR)          (ナディール)
Non, rien!           :いや、何もない!
(ZURGA et NADIR)       (ズルガ&ナディール)
Jurons de rester amis!        :友であり続けると誓おう!
Oh oui, jurons de rester amis!   :おおそうだ、友であり続けると誓おう!

(※以下からデュエットを再開)
(ZURGA et NADIR)       (ズルガ&ナディール)(コーラス2)
Oui, c'est elle! C'est la déesse!   :そうだ、彼女だ! 彼女は女神だ!
En ce jour qui vient nous unir,   :この日、我らを団結させてくれたのだ
Et fidèle à ma promesse,      :だから、約束に忠実に
Comme un frère je veux te chérir!  :兄弟のように、お前を大切にしたい!
C'est elle, c'est la déesse      :彼女なのだ、彼女は女神だ
Qui vient en ce jour nous unir!  :この日、我らを団結させてくれたのだ!
Oui, partageons le même sort,     :そうだ、同じ運命を分かち合い
Soyons unis jusqu'à la mort!   :死ぬまで団結し続けよう!


《資料》

★YouTube動画:
『Placido Domingo & Sherrill Milnes sing duet Pearl Fishes』
By wansob 2008/02/06
・ドミンゴと、アメリカのバリトン歌手シェリル・ミルンズによる、同曲のデュエット。
・データが無いのでいつのどんな公演かはわかりません。
・前半はドラマのセリフ的な歌です。この曲の始まりを頭出し。


★フランス語歌詞:『Opera Allure』(初心者向けオペラ紹介サイト)


★Wikipedia『Au fond du temple saint』(英語)


★日本語訳:『カタカナで歌うオペラ・アリア』(参照)



【各キャラクターの性格】

 というわけで、あらすじと歌詞を見て、ふたりの登場人物のキャラクターがわかってきました。

 バリトン歌手が演じる「ズルガ」は、「ナディール」の友人でもあり敵役でもあります。
 義理堅いけど激情家で、怒りにまかせてふたりを断罪したり、すぐにそれを後悔したりと、人間味に溢れていて、ちょっと重々しい性格です。

 かたやテノール歌手が演じる「ナディール」は、たぶん若くて、レイラが惚れるくらいですから見た目もおそらく良い男です。
 しかしナディールは、昔の恋人を見つけると、ズルガとの団結の約束なんぞすっかり忘れて彼女に会いに行き、ズルガとの友情を誓ったその舌の根も乾かぬうちにレイラに対して「一緒に逃げよう」と言うような、物事をあんまり深く考えない、ちょっと頭の軽い男なんですね。
 そうでないとメロドラマは始まらないので、このようなご都合主義で頭がお花畑の男は非常に貴重なキャラクターです(笑)

 で、何回かディマシュとドミンゴのデュエットを繰り返して聴くうちに、あれっと思ったわけです。
 もしかしてディマシュの声は、バリトンなんじゃじゃないの?
 そして、ドミンゴさんの声は、やっぱテノールなんじゃないの?


【ディマシュとドミンゴの声のキャラクター】

 ディマシュがドミンゴさんと初めて会った時の動画で、ドミンゴさんが「僕はもうテノールは歌えないから」とおっしゃっていたので、このデュエットではディマシュがテノールを歌うことはすでにわかっていました。
 ですが、いざ聴いてみると、ディマシュは非常に美しいテノールの音域で歌ってはいますが、性格がテノールとは違う感じがするのです。

 やっぱりこの子は、根っから真面目なんですね。
 ディマシュのこの時の、バリトンっぽい声には、テノールのキャラクターが持つ「軽薄さ」があんまりなくて、むしろバリトンのキャラクターが持つ「深刻な感情」や「哲学的な考え方」、この歌での「ズルガ」というキャラクターの「義理堅さ」の方を強く持っているなあと感じます。

 そして、ドミンゴさんはもともとテノール歌手ですから、やっぱり彼の声の性格は、バリトンの重々しい哲学性や深刻な感情を半分抜いたような、「軽~い」テノールなんです。
 ドミンゴさんがディマシュと初めて会った時の動き方、話し方、ものごとをあっという間に決めてしまう思考の素早さ、興味と目線の移り変わりの速さ、など。
 ドミンゴさん自身が、すでにテノール的な性格のお方なのですね。

 なので、途中まではキャラクターの整合性がちょっと難しくて、初見の時には、最初の「コーラス1」のあたりまで、ふたりのキャラクターがよくわからないなあと思っていました。


【ストーリーの省略部分と、ふたりの意図】

「コーラス1」のあと、本来の歌では、ふたりが過去にひとりの女性に同時に恋をしてしまったため、お互いに恋敵だった頃の、喧嘩腰で劇的な対立のドラマと歌詞が出て来ます。
 しかしそれは過去のこととして水に流そう、という改心のドラマと歌詞がその次にあらわれます。
 今回のドミンゴ&ディマシュでは、そこらへんがまるまる省略してありました。

 なんとなくですが、ディマシュは最初から、オペラの一幕ではなく、ドミンゴさんとの「テノールどうしの共演」というコンセプトで歌っていたんじゃないかと思います。
 歌の中間部の「対立のドラマ」を省略するという取り決めから、おそらくディマシュは歌のドラマチックなストーリーを描写することを止め、美しいメロディが連続する「歌」として歌っているのではないかと感じるのです。
 なので、ディマシュの声の雰囲気には、「巫女」に対する恋愛感情を予感させる「甘さ」はなく、後半のふたりの「心理的な団結」に焦点を絞って、それをもたらす「誠実さ」で歌っているように聴こえるのです。

 ドミンゴさんの方はというと、やはり長年のオペラの経験から、前半では歌詞に忠実な「対立のドラマ」を演じているような気配があります。
 ですが、ドミンゴさんはやっぱり「テノールの音色」なので、彼の声の中にテノールと対立するための「バリトン」の要素がちょっと足りないのです。
 そのため、ドミンゴさんの声に、対立したがっているけれど対立できないもどかしさを感じてしまいます。
 ディマシュはもしかしたら、ドミンゴさんが完全なバリトンではないことを考慮して、自分の声をバリトン寄りのテノールにすることで、足りないバリトン要素を、つまりこれが「誠実さ」を感じさせているわけですが、それを加えていたのではないか、と考えることもできます。
 なぜかというと、彼の能力なら、自分の声からバリトン要素を抜いて完全なテノールにしてしまうなんて簡単なことだろうに、そうしてはいないからです。

 というわけで、前半が少し謎めいていて腑に落ちない、世界観が統一されていない感じに、私には聴こえていました。
 いっそのこと最初はディマシュがバリトン、ドミンゴさんがテノールを歌い、「コーラス1」の後半でテノールが一番高いキーになるところから急にふたりが入れ替わって、ディマシュがテノール、ドミンゴさんがバリトンになったらどうよ? などと、ムチャクチャなことを考えたりしとりました🤣


【後半の世界観の変化】

 ところが。
「間奏」のあと、ふたりがお互いに「彼女が去っていく」と歌うあたりから、様相が一変します。

 ディマシュは相変わらず「テノールどうしのデュエット」を歌っています。
 ドミンゴさんは隣のディマシュをチラチラ見ていて、何か考えているような雰囲気があります。
 もしかしたら、ドミンゴさんはここらへんで歌い方のコンセプトを変えたんじゃないかな?という気がします。
 もともとそういう予定だったかどうかは、リハーサルを聴かないとわかりません。
 なので、この本番の動画を見ただけの印象ですが、「間奏」までのドミンゴさんと、「間奏」のあとのドミンゴさんの声が、どういうわけか急に変わったように聴こえます。
 ドミンゴさんの声に、彼本来の「軽~いテノール」の輝きが乗り始めた、というか。

 このあとは、中間部のドラマチックな部分が省略されます。
 そして、ふたりが和解する「コーラス2」がすぐに始まります。
 過去を水に流し、団結と友情を誓う内容です。

 ドミンゴさんの声からバリトンが消えました。
 そしてふたりの声のハーモニーが、前半とは全然違って、格段に良くなりました。
 そのため、お芝居としてのオペラではなく、テノールふたりの共演、ふたりのデュエット、新旧スターの揃い踏み、という華やかさが出現します。
 この「コーラス2」で、ディマシュが意図したのかもしれない「テノールどうしのデュエット」というコンセプトが完成したように聴こえました。

「コーラス2」に入ってからのふたりの声の、素晴らしい一致具合。
 声の膨らませ方、声のビブラート、最後あたりの声を切り上げるタイミング、それらの一致具合。
 おそらくリハーサルは1回か2回ぐらいだったでしょうに、どちらもスゲーな、さすがだな、と。

 ディマシュの、テノールにしては真面目で一本気な、ある意味でホセ・カレーラス系列のような性格のテノールを、ドミンゴさんの華麗で軽~い、ピカピカ光るテノールが、低音のハーモニーで美しく装飾しているわけです。
 ドミンゴさんは、このヴィルトゥオーソという番組の審査委員長として、若い演奏家を積極的に自分のコンサートなどに呼んで共演する活動をされているそうですが、ディマシュとの今回のデュエットでもそれが発揮されているようで、ディマシュをものすごく支えてくれています。
 そしてディマシュもそれをわかっていて、遠慮なく歌っています。
 ていうより、ディマシュ、ドミンゴさんに支えられつつも、ドミンゴさんをリードしてないか???
 相手が大御所ドミンゴでも、歌の世界の決定は自分が決めるという、ディマシュの帝王振りったらもうね💦 と、あきれ返るばかりでした(笑)


【オペラとポップスの違い】

 さて。
 このデュエットで、あまりなじみのないオペラの曲を初見で聴いている時、私の耳が「ピーーーン!」と、ウサギの耳みたいに立ち上がった箇所がありました。
 それは歌の前半の1分12秒、ディマシュの「ナディール」が2番目に歌うセクションの、
「Et vers nous tend les bras!(我らに向かって手を差し伸べて!)」の最後の、“ bras!” の箇所です。
 ディマシュの声がすう~っとデクレッシェンドして、一瞬、オペラではない、ちょっとだけエアリーで儚い、ポップスの歌い方っぽくなります。
 そこが、ものすごーくキラキラしていて、もーのすごく印象的でした。

 オペラは、メロドラマか、でなければ壮大なストーリーが多いので、表現する感情が非常にドラマチックで、言ってみれば「動詞」的です。
 喜ぶ、悲しむ、苦しむ、怒る、恨む、憎む、愛する、みたいな感じ。
 心の中からとめどなくあふれ出てきて、止めようにも止められない、非常に強い感情。
 現代的に言うと、ソウル的な表現です。
 これらが、現代人にはちと濃すぎて、ですね😂

 しかし、ポップスというか現代音楽は、長くて退屈なクラシック音楽(スミマセン!でも本音)の楽曲を大胆に端折って、その中からテーマとなっている印象的で良いメロディだけを抜き出したような形態です。
 そして、表現する感情はもっと淡くて、もっと若々しく、初々しくて、「形容詞」的です。
 楽しい、悲しい、苦しい、優しい、嬉しい、寂しい、恋しい。
 その中でも、特に最後の「寂しい」と「恋しい」が、非常に大きな比重を占めています。
 心の中に満ちてくるけれど、決して外にまで漏れては行かない、内に秘められた感情。
 こちらは、スピリット的な表現です。
 現代人には、こちらの「形容詞」的な表現の方が身近な感じがします。


【ディマシュの「ネオクラシック」の、もうひとつの可能性】

 ディマシュは自分の活動を「ネオクラシック」と称し、ポピュラー音楽に無理矢理クラシックをまぜこぜにするような歌い方でカヴァーして、歌の世界とその裾野を広げて来ました。
 ところがですね。
 逆パターンは、今まで無かったような。
 クラシックに、無理矢理ポップスの感覚をまぜこぜにする方向性が、そういえばなかったな、と。
 曲のオケにドラムスやエレクトリックの現代楽器を使ってはいますが、ディマシュ本人の歌唱自体は、クラシックっぽい曲やクラシック曲の時には、クラシック的でした。
 それがですよ。
 このデュエットの中で、“bras” の時の息の抜き方だけ、ポップス表現だったわけです。
 ソウルの中に、場違いなスピリットが混ざっちゃった、みたいな。
 そして、個人的にはやはり、ディマシュのポップス表現の方が分かり易いわけです。
 ほんの一瞬だったのにね。
 あの “bras” の時のディマシュの声は、上品で奥ゆかしくて、すこし弱気な、でも誠実で優しい男性の声でした。
 あの一瞬の声が持つ性格の男であれば、現代人ならみんな魅了されるだろうな、とも思いました。
 そして、新しもの好きでキラキラもの好きな、カラスのようなわたくし、クラシックの中でのあの表現が、もーーーーーのすごく気に入ってしまったのです。
 なんとなく、あれはディマシュにしかできない、非常に新しい可能性ではなかろうか、と。

 個人的に、ちょっと期待してしまいます。
 いつか、クラシック界の掟を完全に無視して、クラシックの曲に無理矢理ポップス表現を混ぜ込んで、完全な別世界にしてしまうような歌も、歌ってくれないかなー?って。
 例えば『オンブラ・マイ・フ(Ombra mai fu)』を全編エアリーなアルトで歌うとか。
 そんなこと、クラシック界が許さない?
 何をおっしゃいます!
 ディマシュは今まで、そのでかい図体と広い音域と正確無比な技術と天然ちゃんな性格と老人転がしの魅力で、すべての音楽的な既成概念をガラガラとぶち壊し、ドカドカと踏みつぶし、コナゴナに粉砕し、ミキサーで磨り潰し、そして新しく作り変えてきたじゃないですか。
 遠慮はいらないぞ、なにせ君は帝王なんだからね。
 クラシック界から総スカンを食らってでも、やりたかったらやってちょーだい、ディマシュ! 全力で応援するぞ!


【ソロシンガーとしての才能】

 最後にもうひとつ。
 ディマシュはやはり、ソロで歌うべきタイプなのかもしれないな、とも感じました。
 彼のあの、常軌を逸した声のレンジと表現力によって、1曲の中で様々な世界とキャラクターと感情を入れ替え、移動しながら、ものすごい大風呂敷を広げた状態にしてしまい、しかもそれらを何の齟齬もなくまとめ上げて大団円に持ち込み、大風呂敷をちゃんと畳み切ることが出来るという能力。
 これはもう、驚くべき能力などというレベルではありません。
 ホントーに「インセイン」(insane、日本語的には「ありえねえ!」)な才能です。
 こういったディレクション(演出)の歌を、誰かと共有して歌うことは、果たして可能なのか、と。
 中国から続いたさまざまなデュエットの嵐を経て、今回のクラシック・エリアでのデュエットを聴き、とどめのように痛感しました。
 だから彼は「ソロシンガー」なのだ、と。

 ディマシュがやろうとしたのかもしれない、オペラの1幕としてではなく、独立した1曲としての歌の世界の再構築。
 それはドミンゴさんでさえ、彼のそのコンセプトに完璧について行くことはできませんでした。
 かくいう私も、その気配を察するだけで、全然理解などできていないのかもしれません。
 もしかしたら、YouTubeでディマシュを発見してお爺ちゃんに紹介した、ドラムスをやっているというドミンゴさんの18才のお孫さんなら、理解できるのかもしれません。
 クラシックが持たない何か、現代音楽やポップス/ロックが持っている、あるいは目指している何か、ディマシュが体現しようとしているその何かは、未来の世界で音楽を演奏する若者にとってこそ必要な何かなのかもしれないなと、感じてしまったのでした。


 ……とかなんとか、分かったようなことを書き殴っておりますが、あのオペラのデュエットのあとには、やっぱりディマシュの『Only You (有你)』を見ちゃうんですよ😅
 えーと『行かないで』(日本語バージョン)は、もったいないので特別な時に聴くようにしてます(笑)
 結局私は、ディマシュのあの、ものすごーく簡単で楽に歌ってるようで、実はもーのすごく難しくて苦しい、大量のカロリーと大量の肺活量を使う、「羽毛のように柔らかいエアリーな声」
と、物語の主人公としての
「瑞々(みずみず)しく、清々(すがすが)しい声の響き」
が、超絶に大好きなのです……。


(終了)

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