第一子の妊娠中で印象的だったこと
こんにちは(^^
今日は、第一子妊娠中で印象的だったことを、いくつか綴ります。2000年春~夏です。
早い段階で、産婦人科の方に促され、母子健康手帳 を受け取りに、地域の保健センターへ行っています。振り返ると、保健センターや病院で開催されている、母親・父親教室には、合計7回 通っていました。
実際の赤ちゃんと同程度の重さのある人形を使って、沐浴までの準備や方法、オムツ交換やベビー肌着の着脱レッスン...の体験。妊婦と同程度の重りを父親が着けて過ごす...ほか、講演会を聞いたり...と一通り体験しました。
この母親教室などでも、同じ月齢の方々と、毎回一緒になるため、次第に顔見知りになっていきます。
「たまごクラブ」という雑誌を購入して、今後のことをイメージトレーニングしていました。今なら「たまひよ」って言うのかな...?
お腹が大きくなってからでは準備が難しいんだなぁ...と知り、肌着類や布・紙オムツ、ベビー浴槽、哺乳瓶や食器セット、ベビー用の石鹸や洗剤類、ベビークーハン(かご)...など、思いつく一通りの品物を、少しずつ買い揃えていったと思います。
この頃は時間があったので、お揃いの水色の生地で、マタニティワンピース&ベビー服を一組だけ手作り。スタイ(よだれかけ)は何枚か買ってみて「これなら作れそう♬」と、何枚も手作りしながら過ごしました。
この頃には通信制大学の4年生。単位も一気に取得しています。出産後では難しいだろうな...との読みです。
3月中旬には、胎動を感じ始めています。夏には、にゅーっと内側から押される感覚が強くなり「これ、かかと...?」と分かるほどでした。(^^
...話は変わるのですが、とても古い家だったので、夏になると アリの行列が家に入ってきていました。何度、アリの巣コロリなどを置いても、数日後には別のルートから、台所の砂糖 をめがけて侵入してきます...💦
夫に「これは、もう嫌だわ...(涙)」と訴え始めています。平日は、私ひとりで留守番のように暮らしています。隣居の義両親も、新築の家に暮らすようになってから、古い家は「古い」と、以前より気が付いたようでした。
いつか、家を建て替えしよう...と話し合い始めたのが、この頃からです。
夏。私の体重は、じわじわと増え続け、出産予定月の初旬には、プラス10kgほどでした。先天的に股関節の骨が足りない形状のため、自分の体重で、股関節が外れそうな感じもして、少し痛むようになります。
同じ出産予定月の友達の中では、私は最後の予定日でした。
ところが...
臨月で、毎週の定期検診のとき。かなりお腹は張っています。まだ予定日には10日以上あります。
先生は、おもむろにレントゲンを撮る指示を出しました。
「う~ん...骨盤が狭くて、出られないみたいだねぇ。それ陣痛だと思うよ。明日が手術の曜日だから、これから入院で。準備は出来てるよね?」と。
「え?...あ、...はい(驚)」(心の準備はまだ...とは言えず...💦)
慌てて、まずは義両親に連絡しています。出張に出たばかりの夫にも。その日の午後には、出産のために入院しました。