新しい職場での仕事環境
こんにちは(^^
今日は、転職先の職場のことを中心に、思い出しながら綴ります。1996年6月~の内容です。
パソコン通信で知り合っていた、土地家屋調査士の先生に呼んでいただき、再び都市(札幌)へ戻ります。
面接に伺うと...
「○○土地家屋調査士事務所」と「○○技研(株)」という、ダブル看板を掲げた、10名規模の小さな事務所でした。1階には、自然食品店の入った建物の2階です。
面接は、ご挨拶程度で済みました。「今、土地家屋調査士の連盟で、不動産 土地登記簿(公図)の地図データ化事業の話を進めていて、最初に受注するから、製図の部分を頼むね。」という話を伺ったと記憶しています。
「これから なんだな。」と、「調査士の中でも偉い先生だったのね...(驚)」と知り、少し安心して、お世話になることを決めました。
職場に通い始めます。
測量士が職員3名、アルバイト2名ほど。日中は、現場への外出が多く、事務所に戻ってからは、皆で一旦くつろいで、それからデータ入力や、図面を引く仕事をされていました。
測量部長は、既に子育てを終了した方でした。ご夫婦で「毎年ハワイ旅行に行くのが、一番の生きがいさ~」と、笑い上戸で楽しそうに話します。毎日、倉島牛乳を飲んでいました(^^
経理事務の方が1名。非常に美人な大先輩で、最初は先生の奥様かと思っていましたが、違いました。「もう社長ったら!」と、キリキリしている時もあるけれど(笑)経理や手続き系は、親切に何でも教えてくれます。
私の他に、情報系の専門学校を出たての人が1人。そして私と同時期にもう1人、夜の仕事をしていたという女性が「昼間の仕事に変更したい...」との事情で、社長補佐と運転でアルバイト採用されていました。
社長のお昼は、セブンの「割子そば」が定番で、懐かしく思い出します。
最初のころで、覚えている仕事は「調査士会の議事録」書き起こし作成。日本語ワープロソフト「一太郎」に、会話音声を聞きながら文字起こしです。会話や単語が専門的過ぎて、あまり分からず...とても苦戦しました💦
他に、名簿の入力作業で「データベース桐」を使いました。まだエクセルが一般的ではない時代です。黒い画面で、シャラシャラと特徴的な軽い動き。表示する「値」を指定すると、見える項目が変化します。桐でデータベースの概念を理解していきました。
近隣の会社から、製図の仕事を部分的に引き受けていた時期もあります。
そのうちに、公図のデータ化事業が動き始めます。基礎資料をデータ化するのに、連日スキャナーでの読み取り作業。主に社長補佐の女性と私の2人で、一緒になってこなしました。
別作業で、測量士が測ってきた下5桁ほどもある数字を、連日CADに入力していた新卒の子が、ある時に悲鳴を上げます。真っ青になって「消えちゃった...(涙)」と。
社長も、CADに詳しい測量士も不在のとき。CADソフトは詳しくないけれども、コンピュータだから、どこかのディレクトリ内に入力したデータは残っているはず...と検索してみたら、案の定見つかりました(^^
データを紐づけると、無事に直前の入力分まで復元✨、とても喜んでもらえました。
そして私は、法務局内の土地 登記簿 書庫へ、通う仕事になりました。