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小学4年生、自力通学と、担任の変化
こんにちは(^^
ものすごく久しぶりになりますが、子育て時代の連載(自伝的エッセイ)を続けます。今回は「9」の続きです。
長男が小学4年生、次男は幼稚園の年中で、2010年春~の内容です。
その前提ですが、長男は2歳後半には、激しめな多動から、広汎性発達障害(当時は自閉傾向、中度の精神遅滞とも)の判定が出ている子です。
幼少~幼稚園時代に、様々な療育場を探しては、意識的につながり、家庭で取り組めることにも手を尽くし、環境を整えながら育ててきた背景があります。
小学校は、環境と当時の先生をえらび、校区をいくつも越境した、公立の小学校へ通わせていました。3.7km先です。
入学後は、長男 T の通っている小学校の、校区の端っこ、バス通り沿いに、駐車場を契約し、毎日、そこまで送迎していました。
駐車場からは、更に600mほど歩いて登校します。すると同じ登校ルートのお友達ができました。
私も一緒に車から降りて歩き、登下校の安全を見守っていたのですが、横断歩道の渡り方など、一定のルールは、繰り返すうちに、徐々に身についていきました。そして友達と先を歩くように育っていきました。
2年生のころには、車で校区の駐車場へ送迎するだけで、すっかり大丈夫になりました。
3年生のころには、駐車場を解約。車による校区への送迎だけを続けています。
そして4年生。クラス替えがない、持ちあがりの学年です。
少し前から、本人にも言い聞かせて準備をスタート。小学校へのバス通学にチャレンジしています。
夫は、出はじめていた「docomoキッズ携帯」で「イマドコサーチ」サービスを契約。小学校にも相談した上で、長男のランドセルに、キッズ携帯を入れたままにしました。
登下校で困ったら、携帯から連絡することを教えたと思いますが、あまり電話してくる子ではなかったです。
福祉定期券を準備。療育手帳とセットで常に持たせ、定期券を失くしたときのために、現金も少し持たせていたと思います。
2学年上に、別方面からバス通学している先輩(当時6年生)がいたことが、背中を押してもらえて、心強かったです。
4年生の新学期、初日。
我が家から600mほど歩き、まずは乗車するバス停へ。何路線も停車する複雑なバス停でしたが、小学校へ行く路線は、とある地下鉄駅から循環する1路線しかありませんでした。
なので、バスを識別するのは、路線番号たった1つを覚えるだけでよく、本人は、とても解りやすかったようです。
朝こそ、10分おきに該当バスがありますが、下校時刻には、30分に1本しかありませんでした。
乗って、7駅目で下車。
そこからは、もう見慣れた景色です。再び600m歩いて、ようやく小学校に到着。
逆算すると、以前よりも少し早く、登校する必要がありました。
朝、一緒に登校バスへ乗ると、徐々に混雑していく路線であることが分かりました。通勤する大人にまみれて、ぎゅうぎゅう詰めになりました。T は途中の駅で下車するので、降りずらくなります。
T は、乗車したら、前の方に行くことを、徐々に学習していきました。
バスに乗るときに、乗車券を取ること(当時)や、定期券は、降りるときに、運転士に見せることを、何度も確認し、覚えさせていきました。
私は、下の子も連れて、バス登校の練習をした日も覚えています。
2週間も繰り返すと、T は、じょじょに慣れてきた様子で、一番前の席の付近へ、1人で先に行くようになりました。
私と弟は、かなり離れた後部席に座り、登校の練習を見守っていた記憶もあります。
私と弟が、バスから遅れて下車し「いってらっしゃい」と声をかけたくても、T は、もう先に横断歩道を渡っていくほど、マイペースに登校していく様子が続きました。
なので私は、途中からバスを下車せずに、終着駅まで乗って、別便で帰宅したことも覚えています。4月下旬ころです。
5月上旬には、朝、乗車するバス停まで一緒に歩いて行きましたが、一緒には乗らないで、登校を見守ることを続けました。
6月には、家から見送るだけ、1人で登校するまでになりました。
毎日、少しづつ、手を放していくように、信頼し、見守っていくように。
長男 T も、逞しく、適応していきました。
後に、本人に聞くと、バスに乗り遅れたことが、何度かあったそうです。「次のバス停まで走ったことが、何度かあった。追いついた。」と話していました。信号待ちの関係で、バスの進みが、ゆるやかな区間ならでは、でした。
「次のバス便でも、たぶん遅刻しないし、大丈夫だったんじゃない?」と聞きましたが、本人は、同じ時刻、早めの便が、安心できて良かったようです。
定期券を失くしたこと、一度もないのは自慢です!
バスの運転手さんには、何度か「定期券が見えないよ」と注意されていました(動作が素早すぎる)が、じょじょに顔見知りになっていく様子もあり、嬉しく見守りました。
下校は、30分に1便で、待ち時間が長かった、と思い返します。
移動支援サービスの方々に頼んで、下校の練習は、3年生の途中から開始していました。
私も、T と一緒に、バス下校の練習を、何度かしています。空いている時間帯なので、帰宅は、バスにさえ乗れれば、問題なくできました。
「ミニ児童会館」で待ち時間を調整して下校するように、本人に伝えていましたが、その時々だった記憶です。
天気の荒れた日は、気にかけて小学校前まで、車で迎えに行きましたし、タイミングがずれて、T とすれ違うことも、よくありました。
T は、自分ペースで動きたい子です。キッズ携帯に連絡しても、出てくれるとは限りません。
「イマドコサーチ」で探しているうちに、ずいぶんと歩いて、家まで帰ってきているような時もありました(汗)。
本人も、バスの時刻表が読めるようになると、待ち時間をみては、次の停留所まで、1駅ずつ歩いているうちに、家の近くまで帰ってきていたようです。
次男の幼稚園で行事のあるときには、ミニ児童会館へ行くようにお願いしたり。
本人は、学年が上がるにつれて、ミニ児には行きたがらなくなり、帰宅しては、隣居の義父母宅へ遊びにいっていた感じです。
また、移動支援サービスのある日は、スタッフと楽しみに、そのままお出かけしていました。
周囲の児童は、野球やバスケの少年団活動、ピアノやバイオリンの習い事、公文や学研・学習塾など、放課後の過ごし方、それぞれに変化していっていました。
T にも、外部で、学習のフォローが必要かな?と、考えはじめ、調べ始めた学年でした。
新しい交流級(普通級)の担任は、着任したばかりの方でしたが、4月中は毎朝のように、登校時間の交差点で見守り活動を行っていて、毎朝、挨拶を交わしました。
おかげで、息子のことも私のことも、好意的に知っていただきました。
4年生は、クラスメイトに変化はなく、交流級(普通級)と支援級の両担任に、受け止めてもらえて、マイペースに過ごすことができました。
学習面で、かなり差がつくことを覚悟していましたが、思いのほか、本人は頑張っていました。
振り返って当時の資料を確認すると、通知表(評価)を、両学級から受け取っていました。
通常級の3段階評価では「大変よい」は、後期の「体育」のみでしたが、本人らしい感じです。おおむね中間の「よい」で、ところどころ「もう少し」の評価がついていました。
小3のころに、新しく赴任してきた校長先生が、特別支援学校の開設や、教育委員会を歴任してこられた校長先生で、特別支援教育にたいして、かなり理解のある校長だったことも、幸いしていました。
T や他の児童もふくめた環境作り、成長を、好意的に後押しいただいていました。
なんと校長室で、支援級ママたちと一緒に、校長先生を囲んでの、ランチミーティングしたことも、素晴らしい思い出の1つです。校長先生、ご自身の発案です。
当時は、東日本大震災の直後。ニュースに影響を受けて、参ってしまっている保護者も、いらっしゃいました...
4年生の普通級担任は、このあと卒業まで3年間、担任として受け持っていただきました。
若さと、熱意とパワーのある、算数が専門の、大柄な男の先生。ご自身も子育て中です。
T は、慣れ親しみ、先生からも学年丸ごと、可愛がってもらっていました。この学年は2クラスで、1クラス30人未満でした。
参観にいくたび、丁寧な学びに、子ども達もイキイキしていていて、入学させて良かったな、と心から思いました。
学習発表会は、ほぼ子ども達で深めて展開したそうです。クオリティの高い内容と演出に、とても驚きました。T も、もちろん主体的に加わっています。感激しました。
後に、外部の塾に通うようになり、模試の結果をみて、友達の名前が、上位から何名も載っていることを知り「なるほど」と、思い直すことになります。
支援級の担任には、いつも声をかけていただき、可愛がっていただきました。T の在籍と、家庭との連携は、そのまま継続していただきました。
学びについては、支援級の児童が増えたことで、支援級独自のカリキュラムへ、比重をおくように変化している途上でした。なので T は、支援級へ通う頻度が、さらに少なくなっていきました。
通常級の担任には、これまでに接してきた児童と比べて、一般的な見地から、T の立ち位置を教えてもらうように、心がけていました。
個人懇談には、夫の参加を、継続的に重ねています。
その上で、T に可能性のある将来の見通しと展望を、共に考えていただきました。フラットに話のできる担任で、とても心強かった時期でした。
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