「考えられる理学療法士」になるために
考える体力をつけよう
よく使う専門用語、説明できますか?
こんにちは。
理学療法士19年目のyokoです。
これは、患者さんと理学療法士(PT)の「より良い20分」を創るために、あれこれ考えるブログです。
今日の記事は、完読まで5分程度の量です。
★★
先日医師とのカンファレンスにて、こんなやりとりがありました。
カンファレンスとは、他職種で行う患者情報共有ミーティングのことです。(以下カンファ)
外来患者様についてのカンファだったので、
医師(院長)とPT全員で行います。
肩の関節唇損傷の患者様について、経過や困っていることを後輩PTのDさんが発表し、治療方針を決定する時のことです。
医師「炎症も引いてきているし、損傷の場所も生活する上では問題ないね。あとは肩の求心位を取れれば大丈夫でしょ」
後輩D「(ほっとした表情で)ありがとうございました!」
そして次の患者様の話題に移りました。
このやりとりに引っかかったyoko。
カンファ後、後輩Dに
yoko「さっきああいう話でまとまったけど、Dは肩の求心位ってどうやって評価してる?」
後輩D「えっと、、とりあえず、触ってみて動きを確認してます」
yoko「うんうん。触るの大事だよね。どこを触って何を確認してる?」
後輩D「えっと、肩峰と大結節を触って・・・。でも、求心位の見方って正直自分で確立できていないですね。きちんと触れているかどうかも実は自信がないんです。」
やっぱりそうかぁ・・・。
言葉は知っていても、本質を伴わずに会話してたんですね。
違和感の正体はそれでした。
これでは医師とPTのコミュニケーションは表面的なもので終わってしまいます。
そしてPTは、なかなか治療結果が出せません。
肩の患者さんをみるPTにとって「求心位」は日常的に使う言葉です。
これは肩の関節が、安定しながら動かせている状態のことを意味します。
(↑ここは専門的な話なので理解できなくてもOKです。)
入職して以来、周りも本人も当たり前のよう使っている専門用語。
他にも何人かに聞いてみましたが、その意味や具体的な評価・治療の方法・なぜそれを行うかの理由を聞かれると、うまく説明ができないスタッフが多かったのです。
特命教育係のyoko。(経緯はこちら↓。興味があればぜひどうぞ。)
ならば、「求心位」について私が講義したるわ!と言い切り、資料を漁ったのですが・・・
あれ?求心位について総合的にまとめた資料が見当たりません。
少しずつ記載はあっても、まとまっていなかったり、求心位と言う言葉が急に出てきて違う方向に話が進んでいったり。
「みんな知ってるよね!」と思っていた言葉なのに、定義や評価項目が明確ではなかったのです。
定義が明確でないと言うことは、同じ言葉を聞いたときに、PT個人個人が違うものを想定してしまうということです。
専門用語は、曖昧なまま使うと、自分を過信する
本に無いなら人に聞こう!
今度は仲の良い同僚や、複数の肩専門医に聞きまくりました。
面白いことに、「求心位」における理解のレベルや解釈は少しずつ異なっていました。
当院は肩の専門医が勤務しており、肩患者さんも多く来院されます。
PTの肩の知識レベルは比較的高い方だと思います。
今まで一緒に講演を聞いたり、勉強もしてきたはずなのに、それでも解釈に違いが出てしまうのです。
たぶん、こういう言葉は整形外科に限らず、理学療法業界の中でたくさん存在するのでは無いでしょうか。
促通・リリース・滑走・・・
全ての言葉に定義があり、明確な評価手順があるのが理想です。
実際、理学療法士協会は、ガイドラインを作成し、同じ認識を持てるよう努力してくれています。
しかし、それでも現場レベルでは、まだまだ追いつけないくらいの専門用語が生まれては飛び交っているのです。
怖いのは、その言葉を発することで、まるで自分が意味を理解できているかのように、さらにそれを達成するための治療法をも知っているかのように、自身を錯覚してしまうことです。
そのまま経験年数だけ経ってしまうと、自分だけでなく指導した後輩までが、違った解釈・錯覚を起こすことになります。
理学療法士がワクワクしながら生きていく社会を目指すyokoにとって、これはジェネレーションギャップで済ませられない問題だと感じます。
使い慣れた専門用語を自分のものにするために
では、どのように解決していくのか?
残念ながら、全ての言葉に定義や治療方法を設けて、PT全員が認識するのは現実的ではないと考えています。本当はそれが理想ですが、時間をかけて慎重に進める必要があり、現場には多分追いつけません。
今回の講義準備を通して私が感じたのは
使い古した専門用語の意味を、あれこれ語ることこそ、PTを成長させるといいうことです。
今回のスライドを同僚に見せると
同僚「あー、お前そうやって解釈してたの?俺こうだわ。」
yoko「マジで?だいぶ振り切ってるね。だからこないだ●●みたいな治療してたの?」
同僚「そうそう。」
yoko「あーつながったわ!なんであんな事やってんだろーって思ってた。笑。効果ある?」
同僚「いやーそれがさー」
と会話が弾んでいきました。
15年以上一緒に働く同僚でも、新しい視点を共有したことで信頼関係が深まりました。
医師とも同じように、やいのやいの話し、最後には「いやー、求心位って深いね!まだまだ考えなきゃいけないね!」と分からないことの楽しさを共有して終わるのです。
お互いが考えてることが理解でき、なぜか前向きな気持ちになるのです。
このような会話は、「答え」を持ちません。
問いを立てて、お互いが語る過程にこそ、意味があります。
私が求めているのは、答えではなく、考えるに値する「良い問い」です。
今回の「求心位」のようによく使われる専門用語は、問いとしては格好の材料でした。
良い問いの先には、思考と会話があります。
答えの先には思考停止が待っています。
「考える体力」をつけるには
問いをたてたら、まずは自分で考えます。
思考過程も含めて、とりあえず自分の考え方を明確にだします。
大事なのは、その思考と答えを、いろんな人と共有して、お互いの違いを明確にすることです。
どちらかに合わせる必要は全くなく、何が違うのか、なぜ違うのかが理解できれば、それで充分です。
私のフォローしている言語化コーチ兼PTの山田さん
これを聞いて、私がしていたのは「問いの共有」であったことに気付きした。
そして、ここからスタートしたコミュニケーションは、とても実りあるものでした。
終わったあとの、あの晴れやかな気持ち!
頑張って考えて良かった!本当に楽しかったんです。
問いの共有は、山登りに例えられるかもしれません。
患者さんを治す、とてつもなく高い山をPTはそれぞれが登っている。
自分がどこを歩いていいのか検討もつかない。
でも、ちょっと登った先に山小屋の明かり(問い)があって、「あれは何か?」「どうやってそこに行くのか」近くにいるPT同士が山小屋をめざす方法を語り合う。
別に違ったルート(思考、答え)を通っても構わない。なぜそうするのかを言えれば良いのです。
大事なのは山小屋(問い)を共有することなのですから。
どんな道を選んだとしても、そこに正解・不正解はなく、次の山小屋にたどり着いた時には気づけば足腰が鍛えられている。
だから少し高いところに、次の問いを立てる。
私はこれを「考える体力」だと思っています。
頂上までロープウェイで一気に行けたとしても、自分の考える体力はついていない。
答えを求めるだけでは、考える体力はつかないのです。
だから、ちょっと面倒でも、少し先の山小屋を見つけては、後輩・同僚・医師に「あれー!!あれはなんだー!!」と問いかけて、皆で山を登りたいのです。
強靭な思考体力をもつPT集団になっていくために。
いつかみんなで、ドカーンと眩しい朝日を浴びれるように。
みんな、めんどくさい先輩だけど、いっぱい語ろうね。
後輩に、yokoさんって「チコちゃん」みたいですね、と笑われたyokoでした。
明日も良い20分作り出しまししょう!