守られたかったの。
カッコいいお姫様だって、騎士が必要だと思わない?
だって、お姫様なんだから。
イベントが終わって、楽しかったよりは頑張ったが多かった夜。偶然クリスマスイブだった。
私はやっぱりいろいろ気になってしまうから、イベント中はいろいろ考えてしまっていた。会の進行、時間、撤収、とか。参加者としてサービスは享受しなかった。運営側の人たちにお世話になっていたし、頼られることも悪くなかった。たくさんの恩があったから、返せるならいくらでも返そうと思ったの。
人が多いのは昔から苦手で、今もそれは変わらないでいた。
だから手伝う方が楽だった。ゴミを集めたり、進行とか時間を気にしたり、テーブルを拭いたりするのが楽で、楽しかった。でもどこか頑張っていたのかもしれない。
気持ちが焦っていた。だからきっと、頑張ってしまった。
撤収して、全てが終わって、真っ暗の中、運営の人たちの顔がほとんど見えない中で、元気にお疲れ様を言った。そのあとはひとりだった。
寂しくなるのはわかっていた。寂しくなる理由もわかっていた。
ここのところ、毎週カウンセリングに行っていた。希死念慮に呑まれて薬を適正量以上飲んだあの日から、カウンセリングによるケアはより丁寧になった。カウンセラー曰く、あの件はカウンセリングの反動もあるから、回数を増やしてケアに専念すべきだったらしい。私の都合もあって間があいてしまっただけなのに、カウンセラーは悲しそうな顔をして謝ってきた。逆に申し訳なかった。
毎週のように取り組んでいたのは、私が女性の体をしているだけで損だと思っていたり、無価値感に苛まれていた原因をケアするため。そしてその先で、最大のトラウマと向き合うため。
女ってだけで損で、女でいたくなかったのは、結局は男尊女卑の中で生きてきたから。
母方の親戚が典型的な男尊女卑だった。私はいつも嫌なことを言われていた。エスカレートするのは当然で、私は体型のことを揶揄される日々だった。誰よりも私が、ルッキズムに囚われていった。ひどいときは鏡を見て吐きそうになった。食べ物を食べることも苦痛だった。当然、何も食べられない時期もあったし、食べ物を見るだけで吐きそうにもなった。自分の体が嫌いで仕方なかった。自傷行為も普通にしていた。だってこの体が大嫌いだったから。過呼吸にも何度もなった。慣れてしまった。
同時に、「女は感情的で話にならない」と言われ続けた。悔しくて、私は20歳ぐらいから言葉で冷静に戦うことを選んだ。
それで報われたかといえば、全然報われてなんかいなかった。
私は、戦うといった面では、家庭内で孤立していった。
何故なら男尊女卑に立ち向かっていたのは私だけだったから。
頭では、男尊女卑はおかしいとわかっていた。でもその前に、私は家庭内で生きるために、体の奥底で呪いをかけるしかなかった。女であることは基本的に不利で、無価値で、損であると。そう思わなければ家族として、馴染めなかった。特に、母との関係がそうだった。
派手に何回も喧嘩した。母からすれば、親戚だって大事な家族だったから、当然だった。私もわかっていた。そしてこの無価値感は親子間で連鎖するカラクリを知った。何も知らない親戚は、病んでいった私を見て、「呪いだ」といった。
母方の親戚には、たまにひどく精神的に壊れる人がいて、それが呪いと言われていた。でもそんなの呪いでもなんでもなくて、心理学によって、全て説明がつく。ひどい男尊女卑の末の、女としての無価値感だ。
私はもうこの連鎖を断ち切りたかった。こんなのが残ったって誰も救われないから。母の葛藤だってわかっていた。だからこそ、私がどうにか打破すれば、いいんだと。それが宿命であればいいと思ったんだ。それが、精神的孤立を生んでも。
「お母さんが大好きだったんだよね。」
カウンセラーの言葉にわあわあ泣いてしまった。母をどこか惨めだと思う中で、どこか迎合しながら、私は娘でいたかったんだと思う。だから男尊女卑をどこかで身代わりのように受けながら、それでも社会的にはおかしいだろうと戦うしかなかった。
結果、私は仕事で自由な気持ちになったものの、家庭では窮屈で孤立した。さらに、家庭を構成する手前の、恋愛とかパートナーシップでひどくエラーを起こすようになった。
私は、心が帰る場所を知らなかった。家に帰れば精神的には孤立していたことを、孤独感が教えていてくれたのかもしれない。
それでも握り締めていた言論とやらで、どうにかここまできた。
やっと、先週のカウンセリングでケアができた。
その前のカウンセリングでは母も同席した。
そうやって、私は少しずつほぐれてはきたんだと思う。まだ追いつかない部分は、たくさんあるけれど。
「今は女の子ってだけでね、可愛がられる時代なの。」
カウンセラーはニコニコしてそう言った。
嘘だろ、と思った。知らない感覚だった。これから知れたらいいとは思ったけれど、わからない。
女らしさで評価されなくていい、でも女でいることを誇っていい、さらには、どんな貴方でもいいと言われた。女を排除して、言葉によって評価を得てきた自分には、本当に意味がわからなかった。
一応は、かっこいい人になりたいと言ってはいた。といっても、具体的には、わかっていない。
だから日々の私はそんなに発言が変わることはなかった。服装も何もかも変わらなかった。強いて言えば好きなアクセサリーを集め始めた。ちょっと強めのやつ。友達とクリスマスマーケットでたくさん笑って、もう連れて帰るしかないやと思って買ったネックレス。愛着と思い出が詰まりすぎて、離したくないから名前をつけた。
そうやって過ごしていた。強くてもいいんだと思いながら、イベントだってこなした。
そして少し寂しい夜を超えて、今朝、運営の人が参加者全員に配ったカードを、やっとじっくり読むことができた。
『来年は、ようこちゃん防衛隊長と一緒にクリスマスを過ごせますように』
最初、うまく意味が読み取れなくて、読み直した。意味がわかった瞬間に、本当に子供みたいに泣いてしまった。
私は何かを守ってばかりで、守られていなくて、本当は、守られていたかったことを、思い知った。
何故防衛隊長かと言えば、私がただ必死に守ろうとしたことがあって、その一連の出来事を、仕事の人たちと、「防衛戦」と表現していた。
それ以来、門番とか弁慶とか言われて、笑っていた。私にだって守れるものがあるのだと嬉しくなっていた。
でもきっと、どこかで寂しかったのかもしれない。ひとりで守っていたのを、私自身が痛いほど知っていたから。
でも戦うのであれば、仲間と戦うにしてもそれは、「守ってもらう」という発想に行き着くことは、私には少し難しかった。やったこと、多分ないから。本当に守ってもらうことは考えないで生きてきた。どこかで守ってもらっていたはずだけれど、気づかずにここまできてしまった。
いろんな人に支えられている。見守ってもらっている自覚もあった。どちらかといえば、戦ってるところを見守ってもらっていた気がしていた。私は休むことを知らなかった。
誰かに守られながら眠ることを、私はまだ知らないでいる。どこかのタイミングで、知れたらいいのだけれど。
私の防衛隊長なんているのかな、と思ったし、いたらいいなとも素直に思った。そして、今はひとりぼっちであることが本当に寂しくてたまらなくなって、迷子になった子供みたいに心細くて泣いていた。
そうやってまた世界を違う側面から愛せたらいいじゃない。
泣きながら書き綴るこの言葉が、静かに幸せに連鎖していくことを祈って。
私は今からカウンセリングで、あのトラウマに向き合うことになる。
覚悟だけしてきてと、カウンセラーに言われた。20年カウンセリングを受けてきて、初めて言われた言葉だった。
トラウマに向き合い続けるのは、うまくいって、最短で1ヶ月だという。どうなるかわからない、今日はもう何もできないかもしれない。でも、あと少し頑張って戦う私に、何かプレゼントはしたいと思う。今日がクリスマスじゃなくても。絶対に。