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「デマ」という言葉について

最近、メディアやSNSなどで「デマ」という言葉をよく見るようになりました。皆さんはこの言葉に対しどのようなイメージをお持ちでしょうか。

「デマ」を辞書で調べると、以下のように説明されています(コトバンク『日本大百科全書』より一部引用)。

デマゴギーdemagogyの略。本来は政治指導の好ましからざる形態を表し、通例、非難の意味を込めて用いる。
いわゆるデマゴーグ(扇動政治家)が情動的シンボル、扇情的スローガン、虚偽情報などを巧みに駆使して、民衆を政治的に操作し、意図した方向に誘導、動員する支配形態のことである。
デマゴギーの政治手法は昔から支配者の常用手段であったが、現代の大衆民主主義のもとでも、大衆操作の有効な手段として利用され、マスコミの高度な発達とともに、ますます巧妙かつ隠微な性格を帯びてきている。社会的、政治的な危機状況はデマの発生と伝播(でんぱ)の格好な温床である。
支配者はデマの操作によって権力の掌握や維持を策動するだけでなく、民衆の間で自然発生的に生まれ、ひそかに伝播される反権力的志向の流言に、「デマ」のレッテルを貼(は)って、「事実無根の流説」とか「秩序紊乱(びんらん)の悪質デマ」といった印象を植え付けることで禁圧し、葬り去ろうと画策する。
民衆のなかで自然発生的に生まれ、口コミで伝播する「下からのデマ」は、しばしば真実の核心を内蔵し、政治権力の弾圧や抑圧への消極的抵抗として発生することが少なくない。したがって、支配者が自己の政治的目的のために、意図的かつ組織的に計略し、流布する「上からのデマ」(官製デマ)と、「下からのデマ」(流言飛語)とは本来、概念的に区別されなければならない。

お手軽に使われている「デマ」という言葉、実はけっこう重いですね。元々の意味と、それは何のために、どうやって使われてきたのか、改めて考えてみると、また世の中の見え方も変わってくるかもしれません。

世の中の多くのことが、本当だろうか、どうだろうか、今はそうでも後で変わるかもしれないと常に流動的で、また白黒つけられることばかりではなく、はっきり言えない場合が多いのではないでしょうか。「デマ」という言葉は強く断定的で、そう言ってレッテルを貼られたことがらを単純化し、そこに様々な側面や可能性があることを隠してしまう力があると思います。

そういったことを理解したうえで、「デマ」とレッテルを貼られたことがらについても認識を固定してしまわず、本当はどうなんだろうと調べてみれば、また違った事実が発見できるということもあるでしょう。

ここに書かれていることについてどう感じられるかは、最近頻繁に使われる「デマ」という言葉に違和感があるかないか、そこで分かれるかもしれません。






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