不可視のマテリアル _vol.2
意外性を引き出すために・・・
絵や音や動きは、言葉で引き出せないものを表現することができる。一旦言葉で説明してしまうと、テーマから逸脱する予期せぬ面白さや、こぼれ落ちるイメージをすくい上げることが難しい。そこで「眠り」というイメージと「7日間の夢」をコラージュで表現し、そこから再び言葉を引き出し、そこから生まれたイメージを即興で踊るということを行った。
【眠り】
〈蠢く眠りの紋章〉
意識的につかもうとすると消えてしまうのもの
【7日間の夢】
1. 〈まなざし〉
他のあらゆる知覚と交ざりあい、様々な知覚の間でねじられる。
2. 〈循環〉
人工と自然、昼と夜、その間の曖昧で小さなもの。
3. 〈宇宙〉
科学でもわからないのは、どこよりも遠い場所のこと
4. 〈私の資源らしきもの〉
What to eat
Who am I
Drink the body
Dream the body
5. 〈ダンス〉
チューニングと錬金術
6. 〈パラドックス〉
私は嘘つきである
7. 〈痕跡〉
更新への期待と絶望
コラージュ を起爆剤にして引き出したイメージを、言葉によって編集し、そこから生まれた新たなイメージや閃きを身体というフィルターを通して即興で表現する。【眠り】→〈キーワードを引き出す〉→〈絵にする〉→〈言葉を引き出す〉→〈動きにする〉という4段階の過程を経ることで、今までとは違うイレギュラーな副産物が生まれることを期待するのだが、踊る私の身体には内包化している規律やフレームがあって、それが私をコントロールしようとする。『踊る』ということを意識し出すと、途端に無意識の進行、プリミティブな感覚や情動にフローすることが阻害されてしまう。人間は思考においても肉体の行動においても、一定の個人的傾向から、なかなか逃れることができないものだ。
アメリカの生理学者ベンジャミン・リベット(1916 – 2007)は、人間がある動作をしようとする「意識的な意思決定」以前に、「準備電位(Rediness Potential)」と呼ばれる無意識的な電気信号が立ち上がる、つまり、身体を動かそうと思う意志が発動するよりも、動こうとする身体の方が早いということを実験で確認した。
脳内のニューロン発火が、私たちの動作のほとんどを決めてしまうというのだろうか? 私たちが意識的に気づこうが気づくまいが、その動作はもう起こるしかないのか?
すべての思考や記憶、夢や希望までも?
この実験は自由意志に関する論争を巻き起こし、人間の根源的な自由意志についての疑問符を突きつけた。
意識というのは身体の後にやってくるプロセスとして生まれたとすると、無意識下での動きは、人為ではないダンス、つまり『夢のダンス』とも言えるのではないか、なんてことをふつふつと考えた。
近年の研究で人間の自由意志は、ほんの0.2秒というわずかな間だけ確かに存在することが確認されたらしい。この自由意志についてをテーマにプログラマーの方と共同制作した作品『. sec』があるが、これについてはまた別の機会に。