見出し画像

地震さん またきておくれ

地震さんの歌

「地震さん地震さん、また来ておくれ、私の代にもう一度、孫子の代に二度三度」こんな唄があるのを知り、びっくりしました。

この唄は、安政地震の際、断層がずれ土地が隆起したことから、耕作地を得た民衆が唄ったものだそうです。場所は富士川の西側、旧富士川町の岩淵~旧蒲原町あたりです。安政といえば、NHK大河ドラマ「晴天を衝け」の時代でもあります。

立場によって見方は変わる

地震といえば、私たち人間に被害をもたらす恐ろしい災害という見方が一般的ですが、こんな見方のあるのだと驚かされました。

とはいえ、次の地震では大被害を受けるかもしれないのに、たまたまの激レアな幸運をこのような唄にする人々ってなんだろう? 素朴にそう思いました。静岡県民ゆえの楽天さ? (笑)

治水に悩まされた人々

富士川は日本の三大急流の一つでもあり、人々は治水に悩まされてきました。先ほどの唄が生まれた地区とは対岸になりますが、富士川の東側、雁堤(かりがねづつみ)では、川の氾濫を治めるために人柱を立てたという言い伝えもあります。

そう考えると、治水に悩まされた人々だからこそ、地震によって生まれた耕作地に対して手放しで喜ぶ唄を唄ったのか、そんな風に感じました。

1982年の台風10号

標題の写真は、現在の富士川にかかるJRの橋ですが、写真の中央部分だけ、他の部分と形が違っているのがわかるでしょうか。1982年の台風10号で、東海道線下りの橋脚が流出・修復したため、異なる形になっているのです。

皆さんもご存じの通り、今年は既に梅雨入りが発表されました。3週間早い梅雨入りも温暖化の影響でしょうか。私が住む函南町は一昨年の台風19号で甚大な被害を受け、激甚災害法による激甚災害指定も受けました。最近、尋常ではない雨が降るので本当に心配です。

「太陽光さん」と「人柱」?

そんな函南町に、現在、ディズニーランドよりも大きなメガソーラーの建設計画が進行しています。今年に入って環境アセスも開始、このままいけば来年の夏には工事が始まり、山二つ分の森が伐採されパネルが敷き詰められることになります。国策としての脱炭素社会の実現に寄与する事業とみることもできるでしょう。また、FIT法によって業者(中部電力の子会社である 株式会社トーエネック)には莫大な利益が約束されます。

一方で、私は建設予定地から3キロほど下に住んでおり、流れ落ちてくる雨水を心配しています。また、建設予定地の直下の集落には町立の幼稚園と小学校があります。そこは、町民の避難場所にも指定されていますが、メガソーラーが建設され、地震によって断層がずれた場合、調整池の水を含む大規模な土石流に襲われる場所であることが、調査の結果明らかになっています。調整池の躯体が崩壊してから5分ほどで到達するという予測なので、逃げ切ることができるのか…。想像するだけで辛いです。

(株)トーエネックにとっては濡れ手に粟の「太陽光さん」でありますが、住民にとっては現代の「人柱」にほかなりません。

キャリアデザインの基本中の基本

このnoteではプロティアンキャリアについて考察をしていますが、私個人は変化を目的に変化を称賛するタイプではなく、経済的に生き延びるために変化をしてきたと自覚しています。そういうキャリアデザインについて書きたかったので、「地に足をつけたプロティアンキャリア」とも名付けました。

そう、生き延びることが大事なのです。しかし、今の私や函南町民がおかれている立場は、非常に危ういものです。そして、それは国策によってもたらされているようです。さらに、多くの町民は、その計画の経緯さえも知らなかったり、気にかけていなかったりもしています。

「太陽光さん 太陽光さん もっと作らせておくれ。こちらの山にも一つ、あちらの山にも二つ三つ」そんな唄が唄われている一方で、

キャリアデザインの大前提である、私たちの明日が危うくなっています。私は現代の「人柱」にみすみすなる気はありません。どうしたら、この状況を打破できるのか、考え続けています。そして、それはキャリアデザインの一環でもあると思っています。

*このnoteは5月8日に行われた「富士川断層ツアー」で学んだことをもとに書きました。現地視察で様々なことをご教授くださった地質学者の塩坂邦雄先生に心から御礼を申し上げます。とても楽しいツアーでした。

画像1

★塩坂先生の「断層ツアー」にご興味のあるはお知らせください。次回ご一緒しましょう💛

いいなと思ったら応援しよう!