まやかしの人生について
昨年の10月下旬に
「そうだ砂糖を辞めてみよう」と
そうだ京都に行こう!のようなふわっと軽やかなのがやってきて
、つい口にしてしまう寝る前に口にしてしまう菓子パンやお菓子類を全断ち、砂糖を辞めた食事を摂取しておりました。
急に甘いものを辞めた私の口と身体は、口寂しく心もとない感じを感じながら、刺し柿や、干し柿、焼き芋などで対応し、徐々に干し大根の甘味でも満足するようになってきました。
それが始まってからひと月もたたないある日、某大手ショッピングセンターに行ったとき、高く広範囲に積みあがっている季節のお菓子に圧倒されて、敵!とみなし身体が反応したことがありました。
私をまやかすものたち。私の意識をまやかすものたち。足元をぐらつかせるものたち。そんな風に感じたのでした。
というのも、それを始めてから、頭がすごくクリアになって、足元がしっかりした感覚を感じていたんです。グラウンディングが強固になったと言ったらいいのか、身体の芯がしっかり立って、明晰になった感じがしたんです。疲れにくくもなったし。自分の意見をしっかり持つこともはっきりと明確になりました。
私にとってはいいことづくめ。
ただ、分かったらもうやらなきゃいけないよね・・・
ないことに出来ないよね…という
自分のいのちに対して、これまでの愛の怠惰であったことや、自分ののぞみに怠惰であったことを否が応でも知ることになります。
それは、合わせて、母業という病の重病であったことを知ることにもなります。母業という重病であったことはまた今度書きますが、
このことは、行きたい人生を生きない、生きれない重く大きな足かせになっていることにも気づいていきます。
でね、それをはじめて、ひとつき。もうそろそろ終わってもいいかな、というときに某おせんべい会社の手作り最中とえん餅を口にしたんです。大好きな最中とえん餅。そのあと私の頭がふらふらしてらりらり?(表現が乏しくてすみません)状態になったんです。あれだけグラウンディングが強固だと感じて、頭も明晰でクリアになったのを感じていたけど。ふわふわと地に足がついていない感じがして、そして思考が惑わされている感じがしました。
これはいかん!と思い、ひと月で終えようと思った
「そうだ、砂糖を辞めてみよう」は引き続き注意深く続けることにしました。
口に入れるものに気を使う、気をつける。
そして、耳から目から音から入る情報に気を配りたいと思った。
それを始めてから
如何に愛に怠惰だったか
如何に望みに怠惰だったか
そして、愛に怠惰だった私は何をしたらいいのか。。。
それは、口にするものや五感から入る情報に気を配ることや
何回も繰り返す、ご飯作りたくない、人の世話をしたくない、を繰り返さないよう、もう本気で辞めることだった。
そうして
まやかしを生きている
いつの間にか生きさせられてることに気づき
本気でそれを辞めていくことをしている真っ最中なのです。
ここに至るまでに感じた奴隷意識について、今度書きます。