人とちがう

再度お勤めするかどうか考えていた。フランスに住みはじめて以来、ほとんどの期間をフリーランスで仕事をしてきた。2年ほど期限付きでお勤めをしたとき、あまりにも根本的な違いにがくぜんとしたのだ。お給料は毎月決まって入ってくるもの、これはすごい発見だった。

フランスで仕事をはじめた当初、ビザ的にフリーランスになる方法しかわたしにはなかったのだ。外国人が人脈もない、言葉が不十分という中でフリーランスでいきなり生活が成り立つほど世の中は簡単ではない。そこからくる深い苦労があったので、お給料がでるというお勤め経験は衝撃なものだった。

世の中を知るという意味で、それまでと違うことをしてみるというのは人生が豊かになるのでいいことなのかもしれない。

さて、就職先を探すなら、どの方向に行きたいかをまず探す必要がある。もちろん何を重要視するかによって方向が制限されるのだが、収入を目的にするなら相手にとっての利益が、自分にとっての収入につながる。つまり自分が相手に与えることのできるなるべく大きな活用材料であること。

これについてブレストをしたら、何でもできてじつは特別とびぬけてできるものはないことをを発見した(というか本当はあるのだけれど、本人はなかなかそれに気がつきにくい)。そのあたりを探ってみた。自国に住む人ならしなくて済むことをできるようになっていくための時間が膨大に必要だった。外国で生きていくためには必須なことだ。そしてだんだんその、広く浅い知識と経験を恨めしく思えてきた。狭く深い知識と経験があれば(というか広く深くもいい)自分を高く売れると思うからだ。

しばらく恨めしい気持ちを味わったあとで、最近ひさしぶりに日本人のクリエータたちに会うことがあった。彼女たちと近況を語り合っているうち、それぞれ多少の環境の違いはあっても守備範囲広くできることが多いことを再発見した。したいかどうかももちろんそうだが、せざるを得ずに必要からできるようになるというわけだ。

それをきいていたら、広く浅い知識と経験を恨めしく思うことが見当違いだということがわかってきた。わたしのフランスでのクリエータとしての活躍ぶりに興味をもってくれている日本のひとからは、どれくらいステキなものをわたしが作れるか期待されているのを感じる。が、実際は響きのあるステキなものをつくるための環境整備はそんなに簡単ではない。

ただ、外国人という生きかたは工夫によって成長し、その視座から発信できるものが確実にあること、受け取る側にとって価値のあるものも含まれているものがあることを確信するのだ。

はたしてそれは外国人でクリエータという立場にかかわらず、世の中の人々全員にあてはまることなのだろうとおもう。

ひととちがってもいい、逆にちがうからこそ価値がある、ということは生きる力になる。そしてわたしはnoteを書く。

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