昭和の終わりとYouTube
始めに言っときますが、
全然、右とか左とか関係ないっス!!
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昭和天皇が亡くなった(崩御した)のは
昭和64年1月7日だった。
その日、
私は、爺様と婆様に連れられて
湯野浜に湯治♨️に来ていた。
(@新湯、当時8歳)
ニュースで、
昭和天皇が崩御されたと報道があった。
日本は一斉に喪に服した。
たぶん、一週間〜10日間くらい。
テレビの画面は、真っ暗。
私の記憶だと、
放送されたのは、簡潔なニュースと
「水戸黄門」だけだった。
小学生のわたしには、暇すぎた。
暇すぎて、暇すぎて、困った記憶が
はっきりとある。
先日、ふと思った。
5Gとか言われてるこのご時世、
自分の都合の良い時に、
YouTubeを見ることができる。
なんて、便利なんだ‼️‼️
あの日、(昭和天皇が崩御した頃)
YouTubeがあったら
暇じゃなかっただろうな。。
しかし、
昭和という
長い長い時代が終わり、
新しい舞台、平成が始まるには
喪に服す時間が必要だったなぁ、と思う。
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喪に服し、湯治場でくつろぐ。
うちの爺様は、
私にいろいろ語った。
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第二次世界大戦で
満州に行って、
足のくるぶしに銃弾を受けた。
(満州にいた期間に
納豆をみんなで作ろう!って言って
四苦八苦して作ったそうだ。)
終戦後、すぐには日本に帰ってこれなかった。
ソ連の捕虜になって大変な思いをした。
(下痢する缶詰を食べたり、
ストーブの上に立って暖をとった)
日本に帰る船では、悲しい事ばかりだった。
(小さい子供が船で亡くなった。
死体は、日本海に投げられ捨てられそうになる、
子供を必死に抱きしめ守った母がいた。
皆から怒鳴られ蹴られている姿をみて
守る人、攻撃する人さまざまだったそうだ。)
爺様は、上記以外にわたしに様々語った。
そして、最後に
ほろりと泣いた。
「あの人は悪くない。仕方なかったんだ。」
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爺様とこういう時間とか
まじで最上級の価値じゃないすか!
そん時は気づかなかったけど。笑
爺様の涙の重み、
うちらが将来に反映させないとな、って
今だからこそ、
なんだーーーか、思うですよ。
取り急ぎ、
以上となりますが、
何卒宜しくお願い申し上げます。
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爺様や婆様の戦中・戦後の話について
興味がある人がいれば
clubhouseにてお話し?!笑
爺様婆様から聞いた話を聴き合いたいなぁ✨✨
ただ、使いこなせるか不安!
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