たどたどしいありがとう
時間はもう昼の2時をすぎていた。昼ごはんはまだ食べてない。すっかりごはんをつくるのがめんどうくさくなった私は、家の近くのお店に電話をかける。
そのお店は売り切れ次第終了で、閉店時間はきまっていない。3時はギリギリだなあと思いながらも、その日は運良く大丈夫ですとのことだった。
店内に入るとお客さんは女性ひとりだけ。もう食べ終わったのか、コーヒーを片手に本を読んでいる。
こんなとき私はひどく緊張してしまう。お客さんはひとりだけ。もうお店を閉めようと思っていたのではないか? 遅い時間にやっぱり迷惑だったかな? 次第に顔がこわばって萎縮していくのがわかる。
だれかに迷惑をかけてしまうと、罪悪感のあまり萎縮して何もできなくなってしまうのが私のいつものくせだった。
「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた店主の方と目をあわせられないまま椅子に座り、なるべく自分の空気を消す。ここまではいつもの行動だ。
でも今日は歩きながら決めていた。不安なあまり自分を守って何もしないよりも、大丈夫ですと言ってくれたことに感謝しよう、と。
「遅い時間にすみません。」
思っていた感謝の言葉とはすこし違ったが、水を持ってきてくれた店主にそう伝える。
「いえいえ、ありがとうございます」と言った彼は優しい笑顔だった。
大きな窓の外では車が水をかき分け走っている。店内には静かで落ち着く音楽がかかり、いつもより仄暗い。白熱球のあたたかい光だけがボワッと広がっている。その暗さが不思議としっくりきていた。
時間の流れってこんなにゆっくりだっただろうか。いつのまにか先客の女性は本を読み終え、お金を支払い帰っていった。私もでてきたお昼ごはんをありがたくいただく。出汁がしみわたる料理は、いつもと変わらないおいしさだった。
食事を終えた私は立ち上がると、店主が帰ることを察してくれたようだった。私が椅子を机の下にいれている間、レジで静かに待っていてくれた。
「美味しかったです。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
たどたどしく感謝を伝えると、彼の笑顔は静かで優しいままだった。
会話の内容はありがとう、だけ。それでも、いつもと違う行動を受けいれてもらえたようで私の気持ちは嬉しくなっていた。たどたどしくても不器用でも、伝わったことがとてもよかった。
家につくまで握りしめていたお札は、角がすこし曲がっていた。