あれから25年。
令和2年 1月17日 ライフログ
25年前の今日は、阪神淡路大震災だった。
私は丁度、当時4歳の息子を実家の母に託し中小企業大学校府中学舎で、1か月研修の真っ最中だった。
あの日、東京の朝は微塵の変化もなく、震災の情報は大学校の寮ロビーに流れるNHKニュースを見て初めて知った。
高速道路の橋脚が折れ曲がり、途中でプツンと途切れた道路の様子をみてただ事ではない事態だと初めて知った。
幸い、京都の実家は揺れたらしいけどお皿の一枚も割れずだった。
電話口の息子は「お母さんぼく地震にばれた」と報告してくれた。地震に居場所を見つかったから揺れたという認識だったのか??
公共放送の最中に、淡々と死者の数を読み上げていた男性アナウンサーが、突然ハラハラと涙を流し死者の名を読めなくなる様子が映し出された。それまで記号だった人名に人生を感じ取ったのだろうか。
神戸長田の公園でがれき撤去を先頭で担っている大学の後輩の姿をみたのも寮のテレビでだった。
あれから25年。
いろんなチャレンジがあって、自分の居場所という背景を描き替え、今朝のスタートは東京、虎ノ門から。
公職を預かる重さを実感しながら、終了した実績報告会。
午後1時からは経済産業省にて、補助金システムの説明会。
精進の機会を頂き続けていることに感謝して、次に進もう。
ちょうど昨夜から相次いで、「あの時相談に来てよかった」、「あれから社員も増えました」と相次いで報告メールをいただいている。
その方々に背中を押していただきながら、小さな企業を元気に笑顔に、一地方の小さなその企業に勤めていることを、社員が誇りに思える企業を育てる。
7年前に決めたのはそれだけ。
写真は東京に来たら必ずお参りする愛宕神社と、金毘羅宮様、トップの写真はその帰りに見かけたとってもかわいい眼鏡屋さん
小さいから勝てます。私のスローガンはあの日も今日も同じだ。