あこがれは、もち続けると叶う
ずいぶん以前、大学生だったころ、「アレキサンダーテクニーク」という本と出合いました。それは、役者だったアレキサンダーという方が声がでなくなり、身体全体へのアプローチを自分なりにさぐり、骨格、背骨の位置を意識し、無意識で動かしていた身体を意識的に動かすようにし、骨の位置を変えるうちに、声がでるようになった。
という、そんなお話、でした。たぶん、みすず書房という専門書ばかりを出版している出版社、だったと思います。
その本の中でアレキサンダーさんが背骨が曲がった少女の身体にそっと手を触れ、アプローチする写真があって、ほんの短いセッションで彼女の背骨がまっすぐになる、そんなお話が掲載、されていました。
たぶん、私がこの本を買おうと思ったのは、大学生協書籍部で立ち読みした時に、あの写真を見たからだったと思います。
私は、人生の途中で背中が曲がり、アレキサンダーテクニークに出会った頃は西洋医学に見切りをつけ、カイロプラクティックや、当時はやり始めた整体やいろいろなところの門戸を叩いていました。
この療法なら理にかなっている!と目からウロコの気分で本を読み終えたところで、現在のように瞬時に情報は手に入らず、せいぜい図書館や大きい本屋さんで探すしかない時代。アレキサンダーテクニークは、どうやら日本では片桐ユズルさんという方が紹介者らしい、までは突き詰めましたが、そこから先へは進めず、その後何十年か経って、今度は誠信書房という出版社から本がでて、その本も買って、またあこがれを募らせて、結局その次には進めませんでした。
こんなところで出会えた!
月日は流れ、ネットに氾濫する情報は、指数関数的に増加していると言われます。こうしてSNSでアップされる情報も含めると日に日に増えるばかり。でも必要な情報って中々キャッチできないし、情報がこれだけあると逆に、興味関心を掻き立てて、本当は何を求めていたのかさえ忘れて流されてしまいそうになる。
私はずっと、アレキサンダーテクニークと片桐ユズルさんにあこがれていた。身体のことは部分ではなく全体でアプローチする、そこに心も宿っているから、全身全霊と、そう思いつつも、曲がった背骨、これも私と受け入れ
るのには時間がずいぶんかかりました。
学び場とびら、という少々変なシェアスペースに出入りするようになって、なんとなく、気楽に生き初め、これまで少々お堅い仕事から強制退去が起こり、はじめて人に自分から「私、背骨が曲がっているの」と説明できるようになりました。相手からは同情も違和感もなく「気付かんかったよそんなん」「へ~そうなの」というなんとも平穏なリアクションを頂くようになって、かって人が自分の後ろに立っただけで、「バレないように」と緊張を全身に走らす必要がどこにあったのか!と思います。
そして、ついに、FBちゃんが私にリコメンドしてくれました。アレキサンダーテクニークのイベントあるよ!と。それも「学び場とびら」でΣ(・ω・ノ)ノ!
なんやこんなところで出会える。それも先生はツッチー先生!心をほぐして、素直になると、かって望んでいた小さな願いの周波数であってもちゃんと響き合える。
イベントは知らない人も、知っている人も、ツッチー先生を囲んで、昔から知っている人同士だったかのようなワークショップ!でした。やはりきちんと身体からのアプローチを心にまで響かすようにトレーニングを受けたツッチー先生のリードは素晴らしいものでした。特に小さなお子さんがツッチー先生のリードで身体への意識の持ち方を変え、みるみる変わってゆく場に立ち会え、感動しました。
心に中に原石のように持ち続けていた願いは、ちゃんと私のところに形となってやってくる。今回は少々時間、かかったけれど。
自分の意識が何を望み、どちらを向いているかに意識的になれば、もっと現実化は早かったのでしょう。あらゆる意味で学びになったワークショップでした。
京都で「知的資産とビジネスモデルの専門家」として、活動しています。現在は内閣府の経営デザインシートの普及に勤めています。