「胡蝶」本編
ずっと同じ夢をみる。
夢でみる世界は魔法が廃れ科学が全てを照らしている。夜にさえ暗闇はなく、建造物は空に届かんばかりに伸びている。
そんな世界で私は美しい妻とかわいい娘に恵まれ、不自由はほとんどなく充実した日々を過ごしていた。
我ながら空想的な夢を見るものだと思う。
そんな夢の世界とは似ても似つかないこの世界に満ちている魔素は、扱うものに代償を求めることもなく大きな力を与える。
古来、獣が魔獣となり知性を得たように、人間は魔素を利用する技術"魔法"を得た。
それまで魔獣によってほとんど絶滅まで追いやられていた人間は、魔法を得ることでなんとか今日まで文明を維持することができた。とはいえ魔獣どもは強大で、人間の生息範囲は防壁を張ることのできる狭い範囲に限られる。
私はこの生活圏の死守と拡張を行う境界往来旅団の拡張班戦闘長として、魔獣の討伐を行なっている。
今日も夢をみる。
「行ってらっしゃい」と見送る妻と娘を後に、整った服を着た私は清潔な仕事場へ向かい、部下に指示を出したり書類を書くなど命の危険は微塵もないような仕事に従事する。
仕事が終わると部下や同僚の誘いを断り家へと帰宅する。扉を開けば娘はいつも私に飛びつきエプロン姿の妻が微笑んで迎える。
しばらく前からの生活圏内の人口増加に伴い、生活圏の飛躍的な拡張のため大規模な遠征を行なっている。
戦闘班が一気呵成に道をつくり、あとから魔法班の第一陣が最低限の防壁を展開して、第二陣がそれを基に堅牢な防壁を再構成する。放射状にこれを繰り返して生活圏を同心円状に拡張する算段だ。
今日も夢をみる。
家族三人でゆっくりと食事を摂っている。娘はとても嬉しそうにしているが、妻の顔は少し浮かないようだ。
10日間に及んだ生活圏の拡張作戦は、なんとか成功裏に収まった。決して少なくない数の犠牲と交換となってしまったが、一般人への被害はなく完遂できたのは彼らの死力あってこそだ。彼らの勇姿を忘れずに残されたものを守ろうと改めて誓う。
今日も夢をみる。
私は娘と二人で食事を摂っている。妻の姿は見えない。
大規模作戦が完了したといえ、境界の攻防に休みがあるわけもない。完了したその日のうちからいつもの警戒・討伐任務が始まる。1ヶ月の任務期間の完了まであと1週間ほど。いつも通り気を引き締めて警戒に臨む。
今日も夢をみる。
床に横になっている私が目を開けると妻と娘の顔が見える。
あの大規模作戦から数年が経った。いつもみていたあの夢のような幸せを、人類がいつか勝ち取ることを目標に掲げて日々任務にあたってきた。私たちの任務に変わりはないが、中心部の一般人たちの生活はまるで外の状況が嘘のような和やかで平和そのものだ。もうしばらくみていないあの夢をまたみてみたい。
今日も夢をみる。
眼前の妻と娘の瞳は涙で潤んでいた。まぶたがとても重い。私はすぐに視界を閉じた。
———ここまでどれだけの命と富と時間とを人類は費やしてきただろうか。ついに手が届くところまできた。伸ばす私の手は随分と骨張り細くなったが、狭い生活圏での生活を強いられていたことも今では昔、人間はいまでは魔獣の生息圏を囲いそれ以外の領域で悠々と生活をしている。
そして今日、魔獣の王の首にようやく手が届く。有史以来の夢を掴みにいく。
もう数十年夢はみていない。