余暇よか
最初に書いたnote記事を久しぶりに読んだ
改めて自分の毎日を振り返ると余暇という余暇はもうほとんどなくなってしまったように思えた。
朝起きて味噌汁のために湯を沸かしつつ、歯を磨いている間の暇つぶしにyoutubeで動画を流す。絵を描く間にも、ご飯のときにも、湯船に浸かるときも、VRChat(VRSNS)でも人と会うまでの間はyoutubeを開く。
この人を惹きつけ離さない不定形の怪物は、気づけばあらゆる隙間に入り込んで空白を塗りつぶす。
流石に気持ち悪くなって近頃は意識してアプリを開く頻度を下げるようにしているけれど、それでも気を抜いているとまたプラモデルを組み立てるお供にyoutubeを開いてしまっている。
完全に否定する気も拒否する気もないが、大抵流れているのはまず参照することはないだろう不要な知識を紹介する動画。数時間後には内容だって覚えていないようなものばかり。
こんなものというと上げている人に失礼と思いつつも、こんなものが自分が求めている情報ではない。そんなもので隙間を埋めないといけない気持ちになっている自分が至極みじめに思えてしまう。
無味で喉越しばかりいい情報を遠ざけるために、外に出て遊ぶ趣味でもつくろうかな。
外に出るなら目的はなくてもいいのかもしれない。