(2022リバイバル)出産予定日を迎えて。
(2022年妊娠期に保存していた記事を投稿)
39週1日。母親とはどんな存在⁉︎
もういつ産まれてもおかしくない39週に突入。とはいえ特に大きな変化はなく。産前ラストの脳洗浄®︎に行ったり激励会ランチをしてもらって穏やかに過ごしています。で度々登場する母案件について、再び考えるきっかけがありまして。備忘録。
みなさんはお母さんとの関係は良好ですか? それはどんなものですか? かけがえのない頼るべき存在で、あったかくて何があっても守ってくれる人⁉︎
わたしは物心ついた頃から母とある一定の距離を置いて過ごしてきたように思います。人並み以上に愛されてきたし守られてきたし端からみたらなんのトラブルもない関係性。
なのですが、以前の日記にも書いたように、不定期に小競り合いをするのです、私と母って。
今回のテーマは、家業のPRについて。以前の一件があってからLINEでの直接ヤリトリは封印し、電話をするか父ccに含めたメールが連絡手段。LINEだと感情やニュアンスがわからず、トラブルになりがちで汗。仕事柄、多少PR知識がある私が家業のインスタを運営していることもあり、写真素材についてやり取りをしていたわけなんです。が、途中で当初予定していたやり方を変えようと提案してみたところ「ではこちらのA案B案からお選びください」みたいな返信がきて。まずその言い回しにイライラしちゃうんですよね。なんでその選択肢を母が決めちゃってるのか。そもそもその選択肢、主旨とずれてないか、とかとか。いちいちイライラしてしまうんです。一言物申したくなる。そんなやりかたじゃ、仕事相手から愛想尽かされるよ、と教えてあげたくなったりしちゃう。
んが一方で、もう60代後半だしやり方や生き方は変わらないというのも理解できるし。娘よ。もっと広い心で接しなさいよ、と思いつつ、毎度気持ちが荒がるのです。
40週0日。母なりの優しさ。
そして予定日を迎えました。昼にオシルシが確認できたものの陣痛はまだまだ。診察へ行ったらちょっと血圧が高かったらしく、あしたからの入院が決定。経過観察からの出産、計画feat.無痛分娩と相なることに。
それでは!と、最後の整え、足マッサージ&ヘッドスパ&マタニティマッサージの2時間セットを予約し最寄駅に向かっていたところ母から連絡が。
「いまお宅に向かってます。頼まれていたものが仕上がったのと、出産後を見据えて駅からバスで練習で向かってみますね」と。おぉ、すごいいきなり感、と苦笑しつつ、これが母の不器用な優しさ表現なのよな、と思いつつ。妊娠糖尿病の気があることを踏まえ差し入れには、三越で新鮮野菜を買ってきてくれたのでした。
マッサージの予約があるので、わたしは最寄駅で10分弱程度母親と立ち話をしてバス停まで送り、あとは旦那さんに対応を任せたのでした。
同じ日の夕方、コラムニストでありラジオパーソナリティである(ポッドキャスト番組・OVER THE SUNでお馴染み)ジェーン・スーによるエッセイをドラマ化した『生きるとか死ぬとか父親とか』をAmazonプライムで最終回まで見終えたワケなのですが、それはそれはギャン泣きでした。親子や仕事、友人とのありのままが描かれた絶妙な作品!
近いのに遠い親子の関係とか、なぜかお互い素直になれない感じとか、ただその根底には優しさと愛がある具合が妙に刺さりまくり。ホルモンの調子もあったかもですが、なんか自分の考え、改めないとな、と涙が溢れ出たのでした。
40週1日。愛着障害。
そしてそして。あれよあれよ、と台風の最中、旦那氏とは病院のエントランスでサヨナラし、経過観察からの出産のため手続きを。実感なきまま、入院となりました。で時間はたっぷりあるもので、読みかけの本を数冊持参したんですが、その中の『愛着障害〜子ども時代を引きずる人々〜』をさきほど読了しました。
それで感じたのが、子ども時代のこと。
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となぜか、ここで止まっていた書きかけの眠れる日記を発見。子ども時代の何を思い出したのだろ、あたくし。3人兄弟の長女であるわたし。ずっとホントは母に甘えたかったことかな。2年前の妊娠期。ジェットコースターな自分の感情を改めて読んだらオモロかった。から、公開しちゃお!
きょうのひとこと
なにしろ活かそ。