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やるべきか、やらないべきか、迷った時の決め方
「転職するべきか、しないべきか」
「気になる講座を受講するべきか、しないべきか」
「結婚するべきか、しないべきか」
人生において、仕事、結婚、自己投資、離婚(?)などなど、大きな選択を迫られて迷うこと、ありますよね?
私自身は、かつて迷った末に、選択した道を後悔する…を繰り返してきました。
そんな私からのアドバイスをお伝えさせてください。
考えても考えても答えがなかなか出ない…、そんなとき、ひとつの指針があります。
それは、
その迷いの根源が、「不安と焦り」か「愛と恐怖」か
たとえば、選択の根源が、将来への不安、現状を何とか変えなきゃという焦り。
そんな「不安と焦り」ベースで、何かを選択する、何かを始める、もしくは手放そうとしているなら、それは、あなた自身の心の声からズレている可能性が高いです。
そこには、
今の自分を受け入れられないから何かを付け足したい、あるいは(本当は興味はないけど)将来役立つかもという損得勘定がないでしょうか?
かつての私が、まさにコレ。
「自分(私)」で在ることに条件が必要な状態。または、自分が喜ぶこと、自分が幸せを感じることではなく、世間的に良いとされているもの、周囲の期待に応えられそうなものを選択しようとしている状態。
この状態だと、「本音」と「思考」が乖離しているから、たしかに迷いが生じてしまう。
やっかいなことに、私たちは、大人になるにつれて「本音」と向き合う機会が少なくなってしまうし、「本音=我がまま」と捉えている方すらいるかもしれません。
そして「私がどうしたいか」ということを確認することなく、日々生きていると、本音がわからなくなり、"いざ”というとき、何を選択していいか判断できなくなる…。
損得や焦りと不安で選んだ道って、結局、継続できないことが多いのです。
一方、選択の根源が「愛と恐怖」ベースの場合。
「たとえ、その選択がうまくいかなくても私は私」
「私が喜ぶ」
「私がやりたい(~しなければならないではない)」
という、自分自身への信頼や愛情がベースになっているなら、それは本音に沿った選択といえるでしょう。
では「恐怖」ベースとは?
何か新しいことを始めようとすると、もれなく「恐怖」がついてきます。
ほぼ自動的に。
それは、心理学的ホメオスタシス(生体恒常性)という機能のせい。
脳は変化を嫌います。
脳の優先事項は、あなたが死なないこと(笑)
だから、生命維持のためには、「昨日と同じ今日」を繰り返すのが安全と考えているのです。
それが、どんなに辛い昨日であっても「生きている」ことが最優先。
そのため、新しいことに挑戦しようとすると、全力で阻止しようとしてきます。
そのひとつが恐怖。
新しい挑戦、自己投資をして何かを始めるなど、未知の世界へ足を踏み入れるのは、それが、あなたにとって、どんなにワクワクする未来へ続く道であっても、やはり「恐怖」を感じます。
だから、「恐怖」を感じるなら、それはあなたが新しいワクワクに挑戦しようとしている証拠かも。
「恐怖」を感じるなら、思い切ってやってみてもいいんじゃないかな。
とはいえ、「恐怖」に飛び込めない…。
「不安」ベースとわかっているけど、そこにしがみつきたい…。
そんなこともあるかもしれません。
そんなときは、こんなふうに腹を決めましょう。
「『今』は、恐怖で新しい道へ飛び込む勇気がない」
「『今』は、不安で仕方がないから、その選択にしがみつこう」
「自分で決める」ことが大事。
「恐怖」に打ち勝てず、変われない自分を責める必要もないです。
『今』のあなたに、それができなくても、いずれできる日が来るかもしれません。
だから、『今』は挑戦しない、変わらない、と『自分』で決めればいいのです。
と、ここまで書いておいて、最後にちゃぶ台ひっくり返しをすると…
迷って決められないなら、サイコロやコイントスで決めろ!
だって、あなたは、望む人生を自分で創造できるのだから。
何歳からでも、いつからでも。
選択した道を、自分自身で、最善最良の道へと創造していけばいいのです。