我慢していた子ども時代①
こんにちは。
YOKOです。
今の私を考え始めた時に幼いころからを振り返って年表みたいなものを作ってみたら、まぁまぁ色々あって、普通の子どもや女性が体験しないでいいようなことを体験してきてる。
と言うことに気づいたのでまずは幼少期の家庭環境について…
私の幼いころの環境はちょっと普通のおうちとは違っていた。
私の両親は地元ではちょっと名の知れた和食屋さん
料亭とまではいかないけれど小中学校の謝恩会や会社の接待などできるくらいのお店をしていた。
私が幼かったからか母の姉家族と2世帯で同居をしていた。
叔母一家は叔父、叔母、私と10歳年の離れた娘の3人家族。
同居している家で叔母一家は自営業の工場をしていた。
ちょっと特殊な仕事だから、詳細は書けないんだけど
なかなか忙しく叔母の家も従業員さんが数名。
飲食店が終わるのは毎日夜11時過ぎ。
なので幼稚園から帰っておやつを食べて、夕飯を食べて寝るまでは
叔母一家と過ごして、朝起きて母の布団に潜り込む。
父は朝から魚河岸へ仕入れに、朝ご飯は母と一緒に食べる。
みたいな生活が小学校4年生くらいまで続いていた。
叔母一家には本当に家族のようにかわいがってもらっていたのは
分かっていたけれど、幼い私の心の中は
可愛がってもらってるけど、親とは違う。
私の親じゃないっていつも心のどこかで思ってた。
だから10歳年上のお姉ちゃん、ねぇねって呼んでいたけど
すごくわがままなねぇねだったから、
いつもいつも私は自分の気持ちを我慢して表にはださず、
ねぇね軸で生活していたな。
本当に小さいことをあげれば
ごはん何食べたい?って叔母に聞かれても
私はこの家の子じゃないから、ねぇねに聞いてから答える
みたいなかんじ。
幼いころから母に言い聞かされていたのは
叔母一家がいなければ、うちはお仕事できないからね、
いい子で待ってってね。
この文章書きながら、私子どもらしくいたのって何歳までだったんだろう?
記憶のあるころからは叔母一家と同居してたから。
私の生活環境を書くだけで長くなっちゃたな。
まだまだ両親との関係を書くまでたどり着かない…
自然と我慢をすることが自分の普通。
今思うと魂の声、自分の声をぜ~んぶ塞いで蓋をしているのが
私の普通になっていったんだな。
続く……