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Nina Vogel「ウイラプル鳥/Uirapuru Tori」(ブラジル×日本)/ 2024.08.31 と ブラジル移民と高知について

ウイラプル鳥の公演を鑑賞

時空間を時間芸術として扱う作品
物であるが使い動かすのは人で物自身に動力は無い
黒子であるが同時に演者の存在によって物に魂が入る
強固に固定されないことで産まれる揺らぎの動きと
実質そこが音源ではないがその動きにつけられた存在する音

神と人はかつて通じる言葉を交わしていた
やがて人の王は神と話すことを辞め
ウイラプル鳥が通訳を行いその間をつなぐ
王は目が無く星の下に連なる民も同じ
民と王とは同じ糸に紡がれない

瞳をもつのは魂の入ったかつて物であった鳥と仮面
魂は舞台に存在しない観測者と黒子が宿し
物は息吹をもって存在する
共通言語は神の怒りにふれ、世界は多く伝わらないことを本来とする
伝わらないことによって産まれるもののあるように、
伝わらないことによって産まれないもののあるように


物に魂が宿りひとつであったものがふたつみっつと増えていき魂自体が本体で物は依代であるというのは、日本の感性に通じる。

演者はブラジル人であるが、
高知は116年前1908年ブラジル移民を送り出した佐川町のブラジル移民の父である水野龍を輩出した歴史を持つ。
その土地の和紙を使った作品の演舞に、
伝えるもの“鳥”と伝えないもの“仮面”に媒介の役目を持たせる象徴。

水野龍 南米渡航案内 https://t.co/NH85cL3mSt 

皇国殖民会社として渡航した水野はコーヒー農園労働者での移民を行ったが、1/4のみ農園に従事、家族での結束単位でない為に離散などが起き以降は家族単位が基準となる。

移民の歴史的発端は、現実的には江戸の人口過剰現象。
当時の識者の間では誇大的な「海外雄飛論」がかわされている。
そして米国での日本人排斥が1900年に向けて起きたことによる
ハワイ・米国・オーストラリアに変わる新たな送出先としてのブラジル。

高知のブラジル移民は1914年の視察を元にアマゾンの地へも
本山町出身の崎山比佐衛によって行われて
“真の移民は永住が条件”を理念とする海外移民学校の建設を行っている。

崎山比佐衛の視察は北海道移民の経歴からでもあり、
『石狩挽歌』(1975)にも高知からの移民を乗せ“笠戸丸”が歌われる。
笠戸丸は1945年8月終戦の6日前にロシアに沈められている。

   オンボロロ オンボロボロロ
   沖を通るは 笠戸丸
   わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る

満州から引き上げ後に北海道で暮らした、
なかにし礼:作詞と浜圭介:作曲によるこの挽歌には

   かわらぬものは 古代文字

の歌詞で小樽の先住民族による
手宮洞窟の岩面刻画(当時は文字だとされていた)が歌われる。

石狩挽歌は多数の演歌歌手により歌い継がれ、
日本の移民と大戦を象徴する歌として知られる。
いずれも一次大戦の前夜から只中の時期に当たり、
犬島が大戦の為に銅の精錬を開始した1909年と時期を符合する。

古代からの日本の歴史の上では人間の行うことなど
所詮はそのようなもののくり返しとも言えるが、
その影響は後の世につながっていることが必ず記録に現れ、
調べ知ることは、その先にあることを見る目となる。

ウイラプル鳥の舞台では、最終盤に第四の壁を越え
和紙の灯火を鑑賞者に手渡し、connectを問いかける形となっていた。

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