昨日(6/16)は父の日でした。一昨日は資格の更新講習(今はまだ初期研修中ですが)で家族療法について学び、ここ数日、「家族」に意識を向ける時間を過ごしているsumidaです。
今日は「家族」について思うことを綴ろうと思います。
1.結婚前の家族
私は生まれ育った家族が大好きです。
寡黙でマイペースな父、おせっかいな母、つかず離れずの姉、それぞれが自立しているけれどパズルの凹凸のようで、お互いが幸せになれるよう協力し合える家族です。
もちろん親子や姉妹の上下意識はありますが、深いところでお互いの存在を尊重し合っています。喧嘩がなかったわけではありませんし、性格の合う・合わないもありますが、共通項は「幸せ」。うまくいかなくても投げ出すことなく、家族みんなが幸せになれるよう努力し、成長してきたようにも思います。
2.結婚後の家族
そんな私は、自分の結婚式で「これからつくる家族を愛していきます」と宣言しました。それは、「家族みんなが幸せになれるよう努力していく」という決意表明でした。しかし、夫を除く夫の家族とは、お互いの幸せに向かってやりとりしていくことが難しく、その難しさは当時の人生最大級でした。
傷ついた自分の気持ちを客観視して気づいたことは「我慢する必要はないけれど、我を通すことで相手を傷つけてはいけない」ということ。
我を通すことと我慢することは相反することであり、家族の誰かがどちらかをとれば、その逆をとらざるをえない家族が出てくるわけです。家族の中に我を通す人と我慢する人がいる。それでは心理的なパワーバランスができてしまい、「尊重」が破綻してしまいます。私が目指していた「家族みんなが幸せになる」ができなくなってしまうと考えました。
それまでは、自分さえ我慢して丸く収まるならそれでいいと考えていましたが、我慢が限界を超えてしまうと、誰かを傷つけるか、自分が潰れるか…いすれにしても、家族を愛することができなくなってしまう―それは絶対に嫌だと思ったわけです。
元々、人と争ったり揉めたりするのは苦手です。家族以外の人間関係であれば、喧嘩になるくらいなら自分が我慢する、その場を離れる、というような対処をしてきた私でしたが、家族の問題からは逃げたくないと思いました。今から思うと、家族の前では正直な自分でいたいと思ったのかもしれません。
3.問題解決に向けてとった行動
その結果、私が夫の家族に対してとった行動は、「心理的な距離を置く」ということでした。
分かり合おうといくら努力しても、どうしても分かり合えないなら仕方ない。そんな状態で心理的に接触することは我慢になってしまいます(物理的に接触するよりも)。でも、夫にとっては大切な家族であり、私の行動如何で夫を傷つけることも避けたかった。夫や夫の家族が傷つかない範囲で我を通すためにできることがこれでした。
「心理的に距離を置く」とは、家族の問題からは逃げたくないと言っておいて一見逃げているようにもみえますが、この行動で「我慢」や「我を通す」の偏りがなくなり家族が幸せになれるなら、これはポジティブな行動だと思います。
4.人間関係の問題はコミュニケーションの問題
先日の家族療法の講習では、「人間関係の問題はコミュニケーションの問題」と学びました。
問題は非言語コミュニケーションの一種。「我慢」も「我を通す」も問題となる非言語コミュニケーションです。
家族を愛するために、アサーティブなコミュニケーションをとれる家族でありたい、と改めて思います。