トンガストーリー➇


トンガストーリーにやっと戻りました。


書く事が沢山ありすぎますが、思い出をたどりながら書いていきます。


トンガストーリーを読んでいただいた方はもう分かっていると思いますが、(読んでない人は是非、トンガストーリー⓵から⓻まで読んでくださいまし)


ヨウコは父と一緒にトンガ五日間の旅をする予定でしたが父にトンガに残りなさいと五日で日本に帰国する事なくトンガに残りました。


結局、トンガ五日間の旅は


トンガ五年となりました。笑



この5年間は本当に自分の人生のターニングポイントと、なりました。


トンガでの暮らしは日本にくらべれば不便でしたが
慣れてくれば楽しいもので最初の一年は冒険してる気分でした。



見かけがドラゴン🐉にしか見えないグロテスクなウナギみたいな魚をギャン泣きしながら母、モアナちゃんと一緒にさばいたり(見かけ怖すぎた)


学校でいとこ達と昼休みに学校から脱走して学校のフェンスに登って制服がビリビリにやぶれてけつ丸出しになったり


真夏には学校の放課後、同級生と海に泳ぎにいったり




今考えるとなんて贅沢なスイミング🏊‍♀️をしていたんだろう、、放課後、太平洋の海に泳ぎにいくなんて島国ならではの贅沢。



よく泳いでいた海は砂浜があるビーチとかではなくトンガの首都にあるメインのバス停のすぐ後ろに広がるだだっ広い海、ザ、太平洋の海



これがバス停🚏



この海で泳ぎまくっていました。


昔は見慣れた風景だったけど今見ると



めっちゃくちゃ綺麗やん。
こんな風景を毎日みていたなんて、、



もっとこの風景、拝んどけばよかった😩


勿論、海は潮が引いている時以外は浅い所がなく、岩場の向こう側は


深い海。



潮が満ちている時は波🌊ガンガンの大自然の海。



こんな海に泳ぎに行っても家族の誰も心配しなかったのが不思議。


たしか、父親にも海に気をつけてねとは一回も言われてない。



父は昔、水泳大会で県の1番のスーパー泳げる人でした。



私は一回、ニュージーランドのPihaビーチで溺れていた従姉妹をヘルプに行って自分が死にかけた事があるので、それ以来あまり泳がねぇ、、


昔は人魚の様に岩からジャンプしまくって泳いでいたのに、、、、



泳ぎたいな。

うん、次トンガに行ったらまた泳ごう。


では今日は一旦ここまで。



Ofa atu


Yoko



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