生い立ち③
様々な場所で外出自粛要請が出ており、韓国では再発者もいるとか、、
(地元も日に日に増えています🦠)
なかなか思うように活動できていない方もいると思いますが、今は準備期間と捉え辛抱しましょう。
さて、TC話の二弾ということで📢
今回は地区TCのお話を。
小学生の頃は、長野県の東信地区で活動していたため、上小TCに入っていました。(今もあるのかな)
大会名は忘れてしまいましたが、優勝すると静岡県の大会に招待されるという特典付きの大会でした。
(覚えている方いますか?笑)
当時の上小TCは、紫のチーム(名前は控えます💧)がメインで活動しており、そこに私1人が ポッ と入ったようなチームでした。
しかし、当時の練習は紫のチームでやっているTRばかり。リフティングが大嫌いだった私は、リフティングでコートを一往復するというTRではなかなか上手くいかず時間が経ってしまう。他の練習ではスタッフの思い通りに動けずあたふた。
しかし、試合には出られる。
なぜだ。
当時の私はそんなことは深く考えなかった。
試合では監督から指示があり、ミスをすると冷たい目で見られ厳しい指導が。もちろん紫のチームの選手は普段から時間を共にしているため、さほどミスはない。
なぜできない自分を使うのか。ベンチには出たい選手がいるのに、怒られてばかりの私が、、
不思議な気持ちのままであったが、大会では最後まで使ってもらい、しかもその大会では優勝。ということは、静岡行き確定🍵
さらに驚きなのは、優秀選手にまで選ばれたことだ。
ここで、頭の中はパニックに。
「ん。なぜ試合で怒られていた自分が、優秀選手に選ばれたんだろう。」
(今でもなぜかは分かっていない。しかし、あの時感じた事がある。後日連載するとしよう。)
静岡の大会へ。
(その夜、飯島愛さんの死去があった記憶が、、)
大会1日目。
強豪が集まる大会で、私は試合に出た。
試合中の出来事。
サイドラインでスライディングをした。多少無理だと分かっていても足を出した。
その瞬間「ピキッ」。
嫌な音とともに じわっ と来る感じがした。(伝わるか?)
無理したおかげでボールはタッチラインを割らずにインプレーに。
急いでボールに!と思い立ち上がろうと思ったが立てない。「え、なんで」
脚は痺れており、両手を使って立ち上がれるのがやっとだった。
監督には言えない。
でもものすごい痛い。(なんてったって小学6年生ですよ)
そのままプレーは続き、相手のCKになった。
早く戻らないといけないが、走れない。
(あ~まだ蹴らないで~ って感じでした😂)
さすがに監督にバレてしまい、「どうした?」と聞かれ状況を説明した。理解していただきなんとか交代。
その当時、アイシングという言葉もそこまで普及していなかったが、とりあえず氷で患部を冷やす。
激痛。ものすごい激痛。げきつう、ゲキツウ、、
宿に帰っても冷やしていたが、やっとこ歩ける程度。
スタッフに相談して次の日以降の試合は断念した。チームの補助をできる範囲で行った。チームは予選敗退で帰還。
急いで医者へ行き診察。
結果は、、
‘‘左内側側副靱帯損傷’’
「なにそれ。」(当時の気持ちのまま書きました)
大雑把にいうと靭帯を伸ばしてしまった。
全治2〜3ヶ月程度。
もう少しで中学の練習が始まってしまうというのに。こんな時に。
でも、やってしまったことはしょうがなく、無理しないように生活した。
、、というような貴重で複雑な経験をしながらも、大会では初日で怪我をするという無様な小学校のサッカー生活の一部、紹介でした⚽️
次回。
中学生のサッカー生活編。
これもまた何回かに分けて書かないと、量が膨大だこと。
お仕事の手休め程度に読んでいただけると幸いです。
ご意見・ご質問等あればメッセージください📩