優しさって? 1ヶ月毎日疑問を見つけて考える 30日目
今日の疑問は
「優しさって?」
です。
ついに30日目が来てしまいました。
次なるチャレンジをまだ考え中のまま、とりあえずチャレンジ最後の疑問を考えていきます(これ自体は引き続き書いていくと思います)。
かなり抽象的な疑問で、人によってその定義も様々なので、いろんな優しさについて考えていこうと思います。
それではいって見ましょ〜
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優しさって?
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①相手のためを思うこと
相手が喜んでくれるだろうなって気持ちを持って行動すること。
これはとっても優しいですね。
ただ、ここ最近での僕の気づきを反映させると、そんな優しさもおこがましいです。
なぜなら人によって価値観はちがうし、何かに気づくタイミングも何かを求めるタイミングもそれぞれ違うからです。
例えば
ジュースをこぼしてしまった時に
【1つめの例】
「早く拭かなきゃ!!」と近くの布巾やティッシュを使って吹いたとします。
しかし、その布巾が汚れていた場合なんかは、汚れを広げてしまうことに繋がるし、そもそも拭かなきゃいけないという固定観念を自分が抱いているだけかもしれません。
芸術的な感性を持っている人にしてみれば、その溢れたジュースさえもアートかもしれないし、
心理学が好きな人にしてみれば、あえてこぼして周りの人がどう動くのかを観察して分析を深めているかもしれませんし、
一般的な感覚とずれている人にしてみれば、ジュースをこぼしている状態の方が落ち着く可能性だってあります。
全て極端な例ではありますが、ここで言いたいのは人によって物事の捉え方や価値観は違うということです。
【2つ目の例】
「あ!こぼしちゃったね。。。これよかったら使って!」
とハンカチを差し出す。
かなり余裕がありますし、相手にふくかどうかを委ねているので相手の気持ちも尊重しているとも取れます。
拭いてもいいのかどうかを相手の動きから察して、自分も率先して拭きあげに参加していくスタイルですね。
この2つの例の場合、どちらもやってることは一緒だけど、優しさの類は全然違っていますね。
何が正解なんてことはないけれど、いろんな正解があることは理解しておきたいです。
②自分にとって都合がいいこと
優しいの感じ方も人それぞれですが、多くの認識の一つに「許し」という部分が優しいと感じられる要因の一つにあげられると僕は思っています。
例えば仕事でミスをした時。
とんでもないミスをしてしまったにも関わらず上司は怒らなかった。
この時にあなたがどう感じるかで、優しさの捉え方が短期的なのか長期的なのかがわかります。
「よかった優しい上司で!」
と捉える方は短期的な優しさに重きを置いている人と取れます。
逆に
「とても怖い人だ」
と捉える人は長期的な優しさに重きを置いている人と取れます。
どちらもメリットデメリットがありますが、いかがでしょうか。
短期的に見た時に、かなり身構えて起こられる覚悟を持っていたけれど、思ったよりも和やかに接してくれた場合。
とても安心感は得られますね。そして、人によっては「こんなに優しい上司に迷惑をかけたくない」と思い必死に仕事をするようになるかもしれません。
また、人によっては「ラッキー!このレベルの仕事で怒られないなら、もっと手が抜けるぜ!」と捉えてしまいどんどん人としてのレベルが下がっていきます。
そこを見極めて相手を叱ることができる人間であれば、短期的な優しさで包み込む方法も有効であると思います。
反対に、長い目で見た時に二度と同じミスをしないように育ててくれる上司は、ミスをしたその時にこっぴどく怒り散らすと思います。
その怒り方にもよりますが、その時辛い目にあっても、長期的にみた時にその起こられた経験が役立つことは往々にしてあります。
その時の経験が未来の自分を作る、ということで、毎日経験する何かしらの事柄は将来の自分に確実に影響していくんですよね。
いろんな優しさがある中で、自分を成長させてくれる優しさに触れて自分も相手に同じ優しさを提供できるようになれればいいですね。
許してもらえるという部分に優しさを感じ、そのまま甘えているようでは、人としての成長はあまり見込めません。
甘え続けると、「優しさとは自分にとって都合がいいこと」として認識してしまい、ひどいところまで行くと思い通りにならなければ逆ギレをしてしまうくらいにはレベルが落ちてしまうかもしれません。
③ちょっぴり世界が良くなること
誰も見てなくても、誰も気づかなくても、誰かが気を利かして成り立っている時間が確実に存在しています。
そんな誰も見ていない部分で小さいけれど大きな行動が取れる人は本当に優しい人であると思います。
例えば
何気ない道端のゴミをさっと拾ったり
相手に気を使わせない(気づかれない)程度に座席を譲ったり
人混みの中で前に進めなくて困っている人の通路を作るようにさりげなく周りの人を誘導したり
そんな感じで、かな〜〜〜〜〜〜り地味だけど、確実に助かっている人もいて、その助かっている人さえそのことに気づきにくい優しさっていうのが本物の相手を思った優しさなのかなと思います。
優しさを好意でやっている(相手にわかるように)と、「エゴ」とか「偽善者」と言った言葉を受ける可能性もあります。
ですが上記の例であれば、そうやって潰しにかかってくる人さえすり抜けることもできますし、その上で困っている人を助けることもできて、まさにバットマンみたいな人間になれてしまいますね。
優しさは見せびらかすものではありません。
ただ目の前の人を助けたかったり、目の前の景色をより綺麗にしたかったり、相手の思考の時間を奪わないように気を配ったり、
そういう見えない部分で何重にも考えた上で放つ優しさが本物の優しさなのかなと思います。
優しいなと感じる行動に対して「なんでこうしたの?」という質問をした時に
「それが当たり前だから」で終わる人は、育ちが良い人だと思います。
ただそれだと、その人にとってのテンプレにすぎませんよね。
優しさの定義が無限に存在する中で、テンプレ通りに動くだけでは真の優しさには到達できないのかなと感じます。
そういった自分なりの優しさの基準を持った上で、「こうした場合は〜〜で〜〜」「逆にこうだと、〜〜〜で〜〜」といくつかのシチュエーションを想像し、その行動をした理由を述べられる人こそが、周囲の状況に合わせて思考を巡らして最善を取れる優しさの持ち主であると僕は思います。
まとめ
①相手のためを思うこと
②自分にとって都合がいいこと
③ちょっぴり世界が良くなること
これだけ書いていますが、やっぱり人によって正しさは違います。
優しいの定義も楽しいの定義も、恋人の定義も浮気の定義も、友達の定義も学びの定義も、何をどう捉えるかで、すべてが変わります。
その中でも僕の考える「優しさ」と聞いて思い浮かぶことを書いてみました。
いつかなれたらいいなと思うのは③のバットマンのような人間ですね。
ということで、チャレンジとしての「1ヶ月毎日疑問を見つけて考える」はこれにて終了です。
明日からは趣味として、書いていきます。
それでは、また明日!