江戸っ子ママたちの赤ちゃんの産み方 その2(全3回)


文政(ぶんせい)元年、1818年。第9代久留米藩主の有馬頼徳(ありまよりのり)の時に水難除災(すいなんじょさい)の神として、藩の上屋敷、港区赤羽橋(あかばねばし)内に水天宮を建てたんだよ。水の事故が起きませんように、どうぞ神さまがそばにいてくださいってね。これを知った江戸っ子のママたちはお参りがしたいと言ってね。塀越しにお賽銭(さいせん)を投げ込んだりしていたんだって。ほら、赤ちゃんはママのお腹の中の水の中にいるからね。お参りしたかったんだね。久留米藩ではね、毎月5日に人々のお参りを許してあげることにしたんだ。それがね、あるママが社殿に使われた鈴の尾をもらって腹帯につけていたら、とっても元気に赤ちゃんを産むことができたんだって。そんな訳でいつのまにか水天宮はお腹の大きなママたちがお参りするようになっていったんだね。

お腹が大きくなって赤ちゃんが産まれそうになって、お腹が痛くなったママたちは、産室(さんしつ)と呼ばれた小さな小屋に移っていったんだ。赤ちゃんを産むママをお手伝いするお産婆(さんば)さんという人がそばについていてくれたんだね。

お腹が痛くなったママたちは、赤ちゃんを産むための特別な形の椅子に座って、天井からぶら下がっている紐に掴まりながら、ウンウンとお腹に力を入れて赤ちゃんを産んでいったんだよ。今のママたちは、ベッドに横になって赤ちゃんを産んでいるけれど、昔のママたちは、こうして座りながら産んでいったんだね。
ママたちは疲れても眠くても眠らずにずっと座っていなきゃならなかったんだ。なんでってね、横になって眠ると血が頭に上って良くないし、眠ると鬼が来て赤ちゃんをさらって行くというんだよ。

今日はここまで。読んでくれて、ありがとう。江戸時代のママは、苦労したんだね。明日が最終回、お楽しみに、ポン!

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