困ったじょっぱりのお殿さま、津軽信義(つがるのぶよし)さま その2(全3回)


昨日の続きだよ、ポン!

二代目は信枚(のぶひら)さまだよ。じょっぱり信義(のぶよし)さまのお父さまだ。信枚さまは鷹岡の町を綺麗に作り直した。お城を作ったよ。慶長(けいちょう)16年、1611年の5月に信枚さまたちは新しいこのお城に引っ越してきた。寛永(かんえい)5年、1628年には、この鷹岡城(たかおかじょう)を弘前城(ひろさきじょう)と名前を変えたんだ。信枚(のぶひら)さまは最初お城の近くに菩提寺(ぼだいじ)の長勝寺(ちょうしょうじ)を中心として村じゅうにちらばっていた33の寺々を集めて一つの茂森禅林(しげもりぜんりん)を作ったんだ。戦いのない時にはお寺でいて、それ戦いとなったら、それぞれのお寺が出城になるようにね。お寺は広いお庭を持っているから、たくさんの馬や家来たちを集めることができる。それと田舎のほうにお寺があると、その土地の農民たちはお城ではなくて近くのお寺さんに頼るようになってしまう。すると、お寺のお坊さんが威張るようになってしまうと、信枚さまにとっては面白くないからね。皆が信枚さまを慕う(したう)ようにしむけたんだね。村中の道も綺麗にしたよ。将棋盤のようにまっすぐ縦縦横横の道を作ったんだ。だけど十字路の交差点は、ずらしながら作ったんだ。これ信枚さまのアイデア。で、いざ戦いとなったら、敵の馬をまっすぐに走らせないようにするために分かりにくくしたんだ。その曲がり角からは隠れて矢を射かけたりもできるしね。それだけじゃないよ。信枚さまは外ケ浜(そとがはま)の善知鳥村(うとうむら)に大型船の出入りできる大きな港も作った。これは太平洋海路の基地としたんだね。{寛永元年(1624年)青森開港}と記録にちゃんと残っている。すごいね。 

今日はここまで、また明日。

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